2010年03月16日

まだまだ続くの、巻




今朝、1ヶ月ぶりに結石の検診へ向かった。

予想通りと言うか、やっぱりと言うか、珍客はまだ何だかくすぶっている様で、検査結果もそれほど良好ではない。

これから妊娠を希望する私としては、レントゲンを使って体の内部を見ることがあまり出来ないため、先生はエコーを中心に、さらに用心のため薬も出されない。妊娠した場合の副作用を懸念してのことらしいが、「綱渡りでややこしいですが、仕方ないですね」と言いつつ、更に水分を採る様アドバイス下さった。

「やっぱ、子ども産むなら体にガタが来る前の方がいいでぇ~」と、しつこい様だが今日もまた同じことを考えた。

まぁ、私はすでに悟りの境地に入っているので(?)、なるようにしかならんわなぁ・・・と、自分が置かれた状態を受け止めている。トホホ。

で。

先生の診察を待つ間腰を下ろしていた長いすの横には、5,6歳位の男の子と、そのおばあさんらしき女性が座っていた。

「おばーちゃんの病院通いに、お孫さんが付き合っているのかな?」と考えていると、どうもその男の子の方が受診する様で、おばあさんが私に語ったところによると、彼は保育園に行きたくなくなると、必ずどこかが痛いと言い出すのだと言う。

「今日もきっと、何でもないと思いますけど、痛いと言うのに放っておくわけにもいかなくてね」と、ベタベタとまとわり付いてくる孫の手をつかみながら、私にそう言われた。

小さな彼が持っていた犬のぬいぐるみに向かって、私はささやいてみる。

「お手っ!」

すると、その子は目をキラキラさせて、「ワンッ」と言いつつぬいぐるみにお手をさせ、ついでに2人でその犬に名前をつけ、その後は私が持参していた『たのしいムーミン一家』(何でそんなもの携帯しているのかと言う、突っ込みなしね☆)の本の絵の部分だけを見せながら、「きゃ~、この魚は巨大すぎて、怖いねぇ~」「これ、なーんだ?ハイ、正解は黒ヒョウですっ」。

などとやっていたら、彼もすっかり打ち解けて、私が先に先生に呼ばれて診察して頂いた後、バイバイを言うと、「え~。もう少し居て~」と告白され、キュンと胸が鳴る。

どうして保育園へ行きたくないのかな。

ママやおばーちゃんにもっと甘えたいのか、保育園の友達に馴染めないのか、園の教育方針に納得できないのか(笑)、何だろう??

あんなに小さな子でも何か理由があって、それを上手く言葉では表現できないから、あちこちが痛くなるのかもしれないなぁ・・・などと考えつつ、私は会計へ向かった。

私の体の痛みは、明らかにこれまでの暴労働(←暴飲・暴食から名づけました)から来るツケだと思われるので、今後は精々休みます。

あぁ、職場から夜中にタクシーで帰宅したり、もう閉まっている会社の門を乗り越えたり(=勤めていた会社には大きな門がひとつと、駅に近い小さな門があり、小さい方は確か夜の23時30分?あたりを超すと閉じられるのです)、徹夜で商品のプロモーションビデオを撮影し、始発の新幹線で東京から大阪へ戻って来たりした、あの体に厳しい労働が駄目だったんだろうなぁ・・・と、反省することしきり。

ま、唯一の救いは、それらの労働が決してやらされていたものではなく、むしろ「心の底から楽しかった」という、その思いではないかと思う。

しかし、アレなんですよ。

最近は洗濯ひとつ、庭掃除ひとつとっても楽しくて、「こんなところに楽しいことが転がっていたなんて、知らんかったわぁ~」と、ビックリしている次第でありますのん。  

Posted by ミナック at 14:59Comments(4)TrackBack(0)結婚

2010年03月11日

戯言?



今日、車検に出していた車を引き取りに名古屋駅近くへ向かった。

途中、地下街でちょっと迷ってしまい、「ひ~」と思いつつ歩いていると、目の前に本屋が見え、吸い寄せられるように入ってしまう。そこで平積みになった『文藝春秋 SPECIAL 季刊春号 結婚という旅』という雑誌が目に止まり、思わずページをめくってみました。

すると、漫画家の柴門ふみさん(『課長・島耕作』を描いた、弘兼憲史さんの奥さんね)と、「パラサイトシングル」やら「婚活」という言葉を世に送り出した、中央大学教授でもあり、社会学者の山田昌弘さんの対談が載っていた。

ズバリ、その題名は「迷走する夫婦」。

他のどのページよりも面白かったので、是非書店でお買い求めの上、ご覧ください。(あ、私も買いました。)

さて、その対談の中で、お2人はアラフォーの結婚についても語っている。山田さんの本の中では過去に語られた部分もあるが、私はこれを思い切ってここに「写経」してみようかと思います。

「勝手に掲載したな~!!」と、いくら何でも個人のブログに、あの大手出版社の文藝春秋さんが文句を言ってこられるとも思えないし、むしろこれは続きを読みたい人への宣伝になるのでは?と、勝手に判断し、今から写してみよう。

万が一、ブッブ~とNGコメントが届いた場合は即刻削除しますので、何卒お許し下さいませ、ね☆

キッ。(←ふんどしを締めなおす音)

では、行ってみます。

あ、その前に今日煮てみた、あずき(!!笑)を少しと、コーヒーを持って来て、食べながら飲みながらやってみよう。


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前半省略

さまようアラフォー世代

柴門
「なぜ婚活詐欺にあうような中年男性が多く残っているかというと、今の40歳前後、アラフォー世代の女性たちが、三高と呼ばれるよりよい男性を求めたからですね。お金もあるし、ルックスもいい、ひと握りの男性に、10人ぐらいの女性が集まったわけです。結局、彼と結婚できるのはひとりだから、9人の女性が余るし、彼女たちとつき合えたはずの男性も、9人余ってしまった」

山田
「もしかすると、このアラフォー世代は特殊なのかもしれませんね。彼女たちが20代だった90年前後というのは、『男女7人夏物語』のように、都会で生きる男女がくっついたり離れたりするテレビドラマが流行ったり、柴門さんの『東京ラブストーリー』が人気だった頃です。結婚を前提としない男女のつき合いが、当たり前になっていった時代です」

柴門
「それまでの女性には、『結婚を前提としてつき合う』という考えがありましたね。ある程度あきらめて、お見合いなり職場なりで、そこそこ収入のある人と結婚して。みんなそういうものだと思っていられた。けれどあのバブル期、90年前後だけ、ちょっと踊らされてしまって」

山田
「いろいろとつき合ったけれど、結婚できずに40歳になってしまった男女が、今必死に婚活しているという状況です。とはいえ、現実的には恋愛そのものは下火になっているような気がします」

柴門
「私もそんな気はしますね。母校のお茶の水女子大学の学園祭に行って、アンケートを見せてもらったら、1年生で『恋人がいる』と答えた人は全体の4分の1ぐらいでしたよ。私たちの時代より、だんぜんお洒落でかわいいのに、なぜ恋人がいないの?って思いましたもの」

山田
「リーマンショック以降、20代でも、いかに安定した結婚生活を確保するか、という考え方にシフトしてきています。極端な話、恋愛抜きで結婚してもいいじゃないか、と」

柴門
「ずいぶん、現実的なんですね。小説や映画、漫画でも、愛があれば結婚生活は維持できる、と言い続けていますが、現実はそうじゃない、と」

山田
「私は、恋愛と生活が一緒になっているのが、近代的な結婚だととらえているんです。そもそも一番好きな人と結婚するという考え方は、欧米から入ってきたものです。だから、彼らは好きじゃなくなったら離婚する。男女とも自立しているから、別れたりくっついだりできるんですね。一方、アジアに目を転じてみると、中国には欧米の文化があまり入ってこなかったから、恋愛結婚という考え方がないんです。大学生時代に恋愛を楽しんで卒業と同時に別れる。結婚は、経済的都合で相手を選ぶと留学生は言っていました。共働き希望だったら共働きがいいという男性と、専業主婦がよかったらそういう人と、最初から条件で決めている。本当に好きな人かどうかなんて、考えないんですね。中途半端に欧米文化が入ってきた韓国と日本は、その中間あたりを漂っている(笑)」

柴門
「日本の女性はやっぱり、なんだかんだ言っても、愛を求めてしまうんですよね。IT成金と結婚した女優が、『お金だけでは続かなかった』と言って離婚すると、よかったと思ったりする(笑)。どこかで物語を求めているところがあります。そうやって現実との折り合いをつけているのでしょうか」

山田
「物語と幻想は同じことだと思いますが、現実と幻想、どちらかがあれば、生きていけるんじゃないでしょうか」

柴門
「結婚生活が満たされていれば、幻想は必要ない?」

山田
「別のところに求めればいいわけで(笑)」

柴門
「なんだ、やっぱり男性は妻以外、女は夫以外に幻想を求めるんですね」


友だち夫婦をめざす

以下、省略

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前半と続きを読みたい方は、書店へGO!

ちなみに私が思うに、「絶対結婚しよう!」と考えるなら、年齢がいく程、勉強も必要だと思います。やみくもに人と会っていても、全然的外れなことをしている可能性もあるからで、仕事と同じく、現状を把握し、戦略を立て、行動に移す。

せめて、『「婚活」時代』の本を読む程度は、是非お願いいたします。

それから。

これは、私と私の友人Aの共通した意見ですが、まぁ、ものは試しにお聞き下さい。


 1.絶対結婚しようと思う人女性が、もしも今、親と同居をされている場合。
     ↓
   今すぐひとり暮らしを始めてみてください。(=親からの資金援助を断つ

 
 2.絶対結婚しようと思う女性が、もしも今、安定した職業(例えば大企業勤務など)に
   ついている場合。
     ↓
   今すぐ辞めてください。(=お金は結婚後でも稼げます


以上、老婆たちの「戯言」と取るか、「真実なり」と取るか、その判断はお任せいたします・・・  

Posted by ミナック at 22:31Comments(5)TrackBack(0)結婚

2010年02月19日

新・人間万事塞翁が馬




39歳で初産をした友から、1歳と少しになる子どもの写真が添付されたメールが届く。

産まれたての頃、彼女の家で見た赤子は、超美人な友そっくりな綺麗な目をしていたが、さらに成長した今、子どもは彼女のコピーのようになっていた。

「まるで、ひとりで産んだみたいやなぁ。聖母マリアの世界やわ」

私がこう返信すると、大爆笑を知らせるメールが再び届いた。

世間ではよく、女の子は父親の遺伝子を受け継ぎ、男の子は母親の遺伝子を受け継ぐなんて言われる。

だから、美女と野獣の夫婦の間に生まれた女の子は、美女の母を持つのに、自分は野獣そっくりという悲劇を生みがちで、コンプレックスに苛まれる。

「ミナックさん、それは言い過ぎやで~」とお思いでしょうが、私自身がそうだから、その女の子の気持ちがよくわかるのだ。

私の母は美人だ。若い頃は近所でも評判だったらしく、見合い話もわんさか届いたそうだ。かたや父は、野獣でこそはないが、平々凡々な顔つきをしていて、いかにもモンゴロイドの血を受け継ぎました!という感じ。

そしてその夫婦の間に生まれた、待望の女の子の顔やいかに?!と、周囲はさぞかし期待しただろうが、ベッドの中でムニャムニャ言いながらヨダレを垂らして横たわっていたのは、父親そっくりの女の子だった。ガックシ~と肩を落とした、皆の様子が容易に想像できる。

それだけではない。

夫から言わせると、私の性格までもが、父にそっくりらしく、「あの、自分の都合の悪いことは耳が遠いから聞こえないのに何故かヒソヒソ話は聞こえる、猫にタイをやるくせにその猫にナイフをくわえて追いかけられる夢をみる、目の前にあるテレビのリモコンを10m先にいる人に取らせる、外食をしても自分の食事が終われば人がまだ食べていようが”さ、行くで”と言うような、あんなお義父さんそっくりな老人になるのかな~、かなんな~」と、内心では号泣しているだろう。

仕方がない。夫よ、これもDNAの成せる技である。不条理だろうが受け入れてくれたまえ。

で、その美人の母を持つ子どもの、思春期時代の辛さとは・・・。

母娘で外出をし、母の知り合いに偶然出会ったとする。「娘です~」と紹介されると、必ず相手が「あれっ?」という顔をする。

友達から「ミナックさんのお母さん、綺麗ねぇ」と、その当人から私は自らの顔を一度も褒められたことがないのに、やたらと賞賛の言葉を承る。

何だかウヨウヨ寄って来る、そこら辺のおじさんに妙に可愛がられる。(=母と仲良くしたい男子が、まずは子どもから手なずけようと、私に優しい)

親子3人で出かけると、「あらっ。娘さんは、お父さんそっくりですね~~」と、感想を述べられる。

父の母(=つまり、私の父方の祖母)を見ると、自分の55年後が常に予測できる。

と、まぁ、こんな感じなのであるが、成長した今となっては、美人の母に似なくて良かったと思う面も多々ある。

まず、美人の宿命として、歳を追うごとに衰えていく容姿を自分で受け入れがたいという側面があるが、私に関しては元から期待をしていないので、全く気にならない。

「容姿で人を引き付けられないなら、違う面を磨こう」と、勉強に勤しんだり英会話習得に没頭したりして、自分の得意分野を作ろうと頑張れた。これは、顔ではモテないと自覚したが故に、しゃべりを磨いたという、明石家さんまさんの思想に通ずるところがある。

と、まぁ、つまりはまたアレですな、

「人間万事塞翁が馬」。

ちょっと違うような気もするが、ま、いっか~。

ほんで、一体私は何の話をしたかったんやろ~?  

Posted by ミナック at 11:26Comments(0)TrackBack(0)結婚

2010年02月15日

よければ一緒に




モーグル選手の上村愛子さん。惜しくもメダルに手は届かなかった。

学生時代、アルペン競技をしていた私は、オリンピックもウィンターの方が好きで、先日からテレビにかじりついて試合を観戦している。

番組が散々流し続けている上村さんの人生ストーリーは美しく、そりゃぁ誰しもが彼女にメダルを取って欲しいと心の底から願っただろう。

でも、どんなに頑張っても世の中には報われないこともある。

マラソンランナーのQちゃんは、「頑張れば必ず夢は実現できる」という強いメッセージを発し続けた。これに引っ張られ、結局夢を達成できず必要以上の失意に苛まれている多くの若者がいるのではないかと、私は日ごろ思っている。

もちろん頑張って夢を実現できればそれに超したことはない。

でも、たとえ実現できなくても、チャレンジしたということは充分評価できると思うし、成功できなければこれまでの努力が全て水の泡で、価値のないものだとは全然思わない。

私の口癖である「人間万事塞翁が馬」はこんな時活躍するが、上村さんがメダルを逃したことは今はつらいだろうが、これが彼女の人生に必ずしも悪影響を及ぼすとは思えないのだ。

頑張っても報われない人の気持ちを察してあげられる心の優しさに繋がるかもしれないし、もしかするとあと4年頑張る起爆剤になって、もっと凄い選手になれるかもしれない。或いは「先に母になろう」と思って、一時選手を引退し、メダルなんかよりも物凄い幸せを母として実感できるかもしれない。

とにかく、物事は考えようで、良くてもOK。悪くてもOKと思えば、人生の波は結構渡っていけると、夫からは「頭の足りない前向き人間」というレッテルを貼られている私だが、やっぱり今度もそう思う。

土曜日に車で出かけ、道中にラジオを聴いていたら、20年前に「最後に愛は勝つ~」と最後に絶対的な勝利がそこにあると歌っていたKANさんの最新曲が流れていた。

それは、肩肘張っていた力がとれた様な自然体な良い曲で、私はこちらの方が好きだわと、ボリュームを上げて聴き入った。

「ま、勝てば嬉しいけど、勝てなくてもいいじゃない?誰の助けもいらんわいっ!と強がって歩くより、誰かと一緒に歩いた方がちょっと楽しい感じだし、ま、良ければ一緒に歩きませんか?」っていうトーンの歌で、40オンナのハートを射止めた。(あ、正確には41デス)

だからしつこいようだが、アレですぜ。

私も何が何でも「結婚せよ~」と、未婚の人々へ言っているのではなく、「とにかくコンカツしてみて、駄目ならまた別の道を探せばいいやん」っていうメッセージを送り続けているつもりなので、これからはこのKANさんの曲を勝手に「コンカツサポーター曲」と認定することにしますわ。

それで、愛子さん。

また良いことあったら、いいですね。本当に本当にお疲れ様でした!

・・・

って言うか、里谷さんとかももっと取材してあげてよ~、マスコミの皆様。


■『よければ一緒に』:KAN
http://www.youtube.com/watch?v=CqfODzsd774  

Posted by ミナック at 16:07Comments(3)TrackBack(0)結婚

2010年02月12日

おまけ

     


ところで。

前ブログに登場した私の会社員時代の友は、私たち同期の中のエース格だった。

国立の某難関大学で経営学を学び、卒論大賞までとった、私から見ると輝くばかりのエリートで、「凄い人と同期になってしまった」と、入社したばかりの頃はドキドキした。

だから、彼女が30歳近辺で結婚をして、その後妊娠を機に会社を辞めると言い出した時は周囲の誰もが驚いたし、「勿体ない」と言った。

でも結局友は、心内では色々考えただろうが会社を辞めて出産をし、その後もうひとり子どもを産んだ。

辞める前だったか辞めた後だったかに、彼女が語ったところによると、「あんな状況でとても子どもを育てながら会社勤めは出来ない」と、悟ったらしい。

確かに、彼女は結婚後もほぼ終電で帰る毎日だったし、朝も配属されていた部署の仕事柄、とても早くから出社していた。

男性と全く同じ仕事内容を要求され、結果も出していかなくてはならないし、何よりも本当にやる事が多かったのだ。

だから、友の選択に私は納得し、「そりゃぁ、できひんわな」と思ったものだ。2頭を追えば、必ず両方を失うとの先人の教えもある。

そして、私の心に突き刺さった友の言葉がある。

「私、たまたま勉強が出来たから進学校へ進み、その後も男性的な道を歩んできたけど、本当はもう少し柔らかい世界の方が向いているとわかっててん」

それなら何故、経営学なんて学んだの??と、思う人は思うだろうが、そういう時代だったのだ。昭和から平成に入る頃の私たちの環境は。

だから彼女は退職を機に保母さんの資格をとり、本来自分に向いた世界の扉を叩いた。ただし、育児とは片手間でやっていける程簡単なものではないだろうから、資格を取るには取ったがその後何年も家で過ごしたし、仕事再開までには10年の時を要した。

でも、子育てが一段落すれば、自分で出来る範囲のことを必ずまたやれる事を証明してくれたように思う。

今更もう遅いが、友の歩んだ道は、今の私の考えの中ではとても理想的で、「では、どうしてそうしなかったのか?」と言われれば、単に私にはその鼻が効かなかったとしか言いようがない。(涙)

と言う事で、私の周囲にいる何人かの「このまま、何も再開できずに終わっちゃうのだろうか?」と悩んでいる子育て中の人々へ。

大丈夫やって~。焦らなくても、気持ちさえ持ち続ければ、きっとその時は来ると思う。

私は私で、まぁ、自分が選び続けた道なのだし、こうしてウダウダと一番やりたかったこと(=書くこと)が出来る日々を送っているのだから、今後のことは天に任せようと思っている。

ま、基本、私はO型やしなぁ~。(←考えているようで考えていない、アバウト人間だということ)

え?だから、それがアカンねんって?ションボリ~~~  

Posted by ミナック at 14:57Comments(0)TrackBack(0)結婚

2010年02月10日

コンカツサポーターを、振り返る


 

一昨年から昨年にかけて、コンカツのサポートをしていた女性から久しぶりにメールがあった。

「お元気ですか?あれからまだ一向に私のコンカツは実を結んでいませんが、とにかく続けています。いい縁を見つけられますように・・・と、積極的に自分からも色々な場所へ顔を出すようになりました」と綴られてあった。

彼女へは昨年、知り合いを通じて2度、男性を紹介してみたが、2度とも上手くいかなかった。

1度めの人とは全く通じ合えるものがなかったらしく、2度目の男性とは上手くいきかけたのに、途中であまりに向こうのアプローチが激しくてメールを返せなくなり、そして終わった。

男性側に「少しトーンダウンしてあげてね」と伝えれば良かったと随分悔やんだが、後の祭である。

メールを返さなかった女性は自分の態度を悔やみ、自己嫌悪に陥ると私に伝えた。さらに男性には傷を残してしまったのではないかと、間に立った私も悩んだ。

人と人の橋渡しをするって本当に難しいし、フワフワした気持ちでは決して出来ないなと、私自身も学んだ出来事だった。

「自分は何のために、この作業を続けているのだろう?とどのつまり、私のしていることはお節介ではないか?」

時々そんな風に思えて、眠れなくなる時がある。

確かに子どもを産んでみたい女性にとって、40歳近辺はラストスパートをかけた方がいい時期だとは思う。しかし原点に立ち返ると、「子どもを産む必要は本当にあるのか?」とも思え、自分の行動に自信を持てなくなるのだ。

私自身は、「何が何でも子どもを産むぞ!」という感覚ではなく、30代後半で自然に結婚をしたくなり、そしてせっかく結婚をしたからには、子どもを産み育てる経験をしてみたいと感じるようになった。しかし果たしてそれを、私は他人に押し付けてはいないだろうか?と、日々問い続けている。

一昨年、結婚をした直後に会った夫の仕事関係の人に言われた言葉が耳に残っている。

「ひとり者でいるのは、他人と暮らす生活よりもはるかに楽で、自分の好きなように時間も使える。ところが、結婚することで抱える悩みは倍になり、煩わしいことも倍になる。それでも何とかそれを乗り越えてみると、そこにはこれまで経験したことがないような景色が広がっていて、自分の考え方に広がりが生まれたことを知る。それは物凄い喜びだし、子どもを持ってみてそれをさらに実感した」

私が本気で子どもを産んでみたいと思い始めたのは、きっとこの方のこの台詞が効いているのだろう。

「子どもを持つ方が苦しみは増えるが、何かの問題を乗り切る事で目の前に広がる見た事もない景色」。

その境地を味わってみたいという感覚は、少々M的ではあるが、きっと登山をする感覚に似ているのではないか?などと想像してみた。

どんな人と結婚するかによって人生は確かに多少揺れるかもしれない。

でも恐らく、どんな人と結婚しようが、誰とでも何とかやっていけるだけの力を人は内蔵していると、私は思う。

結婚してみたいと思い、活動している人にどうぞ良い結果がもたらされるよう、私はお節介にならない程度に自分が感じたことだけは、エネルギーが続く限り伝えていこうと、現時点では考えている。

最後に、これはたぶんあの叶姉妹の恭子さん(お姉さんの方ね)が発していた言葉で、私は別に彼女たちを好きでも嫌いでもないけれど、この考え方はいいなと思ったものを紹介しようと思う。

恭子さんは、男性を選ぶ基準をみっつ持っているそうだ。

「イケメンであるか」「金持ちであるか」「無償の愛を提供できるか」

確かこの3つだと記憶しているが、彼女はこのうちの2つ揃えばOKだと自分で判断するそうだ。

曰く、「イケメンで金持ちだけど、自分中心の冷たい人」でもOKで、「金持ちで無償の愛を提供するが、顔は頂けない人」でもOKで、「無償の愛を提供できるしイケメンだけど、貧乏な人」でもOK。

恭子さん基準なので、自分には当てはまらないわ・・・という人は、自分なりの3つを持てばいいと思う。

「背が高い人」「髪の毛がふさふさしている人」「安定した職業についている人」。

もしもこれを自分なりの判断3基準にするとするならば、「背が高く髪の毛はふさふさしているが、職業的には少々危なっかしい人」でもOKとし、「髪の毛はふさふさしていて仕事も安定しているが、背は低い人」もOK。さらに「仕事は順調で背も高いけれど、ハゲている人」もOKとするのだ。

ただ、自分では絶対だと思っている相手への基準が、案外生活する上では「どーでもいいこと」だったりするもので、結局最後は男女共にハートを求められるのではないかと私は思うが、ものは試しでこの叶方式、やってみる価値はあるかもしれない。

自分が果たして明日一日を生きられるかもわからない不確かな仮定の上に成り立っている人生。せっかくこの世に生まれてきたのだから、やり残しのないよう、悔いのないよう、生きてみたいものですな。  

Posted by ミナック at 00:06Comments(0)TrackBack(0)結婚

2010年02月03日

結石、途中経過


昨日、結石の第2回検診があった。

人体の断層像を撮影するCT検査とやらをするのである。

金具のついたものを全て取らないといけないため、検査服に着替えて、巨大ドーナツのような機械の前にあるベッドに仰向けで寝転んだ。

その巨大ドーナツ、かたわらには、ドカーンと、「SIEMENS(英語読みはシーメンス、ドイツ語読みではジーメンス)」とブランド名がついている。

「あぁ、競合他社として、ここの製品をせっせと調査し、比較表なぞを作ったものよのぉ・・・」なんて、会社員時代の記憶をたどっていたら、ウィーンという音と共にベッドが前に動き出した。

ベッドが巨大ドーナツの輪の中に入った時、隣の部屋にいる技師さんの声がスピーカーを通じて聞こえた。

「は~い、大きく息をすって、ハイッ、止めるっ!!!」

私はふぐのようにお腹を膨らませ、顔を真っ赤かにして息を止めた。

一旦ドーナツの輪を通り越して向こう岸までたどり着いたベッドが、手間に戻ってくる。ドーナツの上部にはレーザーがあるようだが、「直視すると目をやられますので、お気をつけください」みたいなラベルが貼ってるので、薄目をあけたまま(おいおい、それでもあんたは見るのかい)その光線の下を通り過ぎた。

これで、体の断層写真が撮れるとは、人間の知能ってすばらしいわね・・・と、妙なところに感心しつつ、元の服に着替えて診察室の前で順番を待った。

ちなみにこのCT。それはコンピュータ断層撮影(Computed Tomography)の略らしい。さらに"Tomography"とは、「断層X線撮影放射線」を意味するようなので、つまりそのように撮影したものを、コンピュータを用いて処理したものを指すのだと、理解した。

そして、私の名前が呼ばれる。

人気沸騰中(誰の間で?)のビーグル先生は、その撮ったばかりのCT写真を、マウスを使って(だって、パソコンのデスクトップ画面に、私の体の断層写真が映っているのである。きゃー、いや~ん!)探っていく。

しかし、前回レントゲン写真を撮った時に確認された位置に同じ形の石らしきものが見当たらないと言うではないか。わずかにある影は、どうも形が違うし、それを石だとは断定できないらしい。

「レントゲンの先生にも判断を仰ぎますが、何か違いますねぇ・・・」先生はつぶやく。

私は、垂れ下がっていたひげを徐々に張りつつ、こう言った。

「先生、アタシ薬もきっちり飲み、それよりもニャによりも、毎日めちゃくちゃジャンプしました」

ビーグル氏は可笑しそうに笑い、「じゃぁ、流れていったのか、もしくは少しずつ流れていっているのか、そんな感じかもしれませんね。ワオォ~」

いよいよ私のひげは、ピンと張る。

「やっぱり?やっぱり?何か、日曜日あたりから腰の痛みも消え、ニャニャニャニャんで?と、思っていたんですよぉ」

老猫の勢いにやや怖気づいたビーグル君、私の言葉をパソコンに打ち込みながら、「ジョギングも効果的という報告があります。ワフッ」と告げた。

ニャに~?ジョギング?と、私は自分の苦手分野に話が及んだので、何故かそれにはコメントをせず、意気揚々とバッグとコートをつかんだ。

「では、2週間分の薬をまた出しておきますので、引き続き様子をみましょう。クーンクーン」

「ニャッ」

私は、先週とはうってかわって元気になり、張ったひげを手で撫でつけながら、ビーグル氏へお辞儀をして診察室を後にした。

「(あーん。良かったよぉぉぉぉ~。涙)」

廊下に出るや否や、私は心の中で叫んだ。

・・・

そんなこんなで、今のところ手術はしなくてよい見通しが立ちつつある。

健康とは、ほんとに素晴らしい。キラッ☆

さて。

しつこいようだが、くれぐれも女子のみなさん、働きすぎにはご注意くだされ。もちろん男子も働きすぎは良くないが、女子にとってオフィスの何が悪いかというと、あの環境だと、私は思う。

夏はエアコンで寒く、冬は冬で顔ばかりがほてって、足元は妙に冷える。そういう蓄積が、私のように体を蝕んでいくことを頭の片隅に入れておき、今日の残業はほどほどに。  

Posted by ミナック at 10:32Comments(2)TrackBack(0)結婚

2010年01月29日

クールぎつね対策



そう言えば。

謎の腰痛を解明するために訪れた病院で、懐かしの産婦人科の先生を見かけた。

その病院では、産婦人科と泌尿器科が隣り合わせになっている。

残念ながら昨年秋に流産手術をしたのを皮切りに、その同じ総合病院で、冬にはカテーテル・アブレーション手術をして、さらに初春には最悪、結石手術までするかもしれない。

もう、病院の内部構造も覚えたし、売店の閉店時間だって知っている。会計の支払方法も迷わないし、駐車券と診察券を同時に入れると、駐車料金がタダになることだって理解した。ただし、診察をしてもらった時だけだけど。

すでに殆ど達観の境地に入っているので、本人はあまり心配していない。慣れとは怖いものである。

そうそうそれで、その産婦人科の先生。この方をお得意の動物で例えると、真面目で頭のよいクールぎつねといった感じで、冷静に仕事を遂行する一方で、こちらが変なことを言うとクスクス笑ってくれるのが、カワユイ。

あぁ、クールぎつねに対して「カワユイ」などと感じるとは、まるでヨン様を崇拝するオバサンではないか・・・と、自分の老いを実感する。

そのクールぎつね。

私が泌尿器科の診察室前で座っていると、白衣をさっそうと身にまとい、早足で歩いてきた。

「あっ」

と思った瞬間、私は寝たふりをした。きつねに対する、老猫の狸寝入りである。

別に何も悪いことをした訳ではない。

ただ、クール君へは術後検診の時に、「次回、私がまた妊娠した時は、絶対ここに戻って来ますから、その折にはどうぞ宜しくお願いいたします・・・」と、格好良く言い放って来たのだ。

アブレーション手術をするのは、元々出産を目的にしたその流れで先生も判っているので、問題ない。しかも、循環器科は産婦人科と階も違うし、だいぶ離れている。もしかすると循環器の先生から、私が無事に手術を終えて退院したという情報も入っているかもしれない。

それなのに、それからまだ1ヶ月も経たぬ間にその私が、今度は泌尿器科の前に座っているなんて、ダメダメダメ!

再会は感動的でなければ、私の美学に反する。(どんな美学やねん?)

そんな訳で、クールぎつね君がコンコンと廊下を渡っていく間、私は思い切り影を薄くして、彼をやり過ごした。

はぁ。次回の結石検診の時は、マスクとサングラスでもつけて行こうかしらん。

でもま、あれである。先生とは日々、何百人もの患者さんを相手にする職業だ。いちいちこちらの顔など覚えていないだろうから、サングラスだけでいっか。

いやいや、そんな患者、かえって目立つし、もっとアカンやん!  

Posted by ミナック at 10:40Comments(0)TrackBack(0)結婚

2010年01月26日

謎の腰痛、その後日談



先日、謎の腰痛が起こった話を書いた。

すると、そこへ泌尿器科の先生が、「腎結石のせん痛発作の疑いがあるから、早く病院へ行くのがベター」と、コメントを入れて下さった。(コチラです

「え~っ、え~っ!もう、しばらく病院はヤダ」と、駄々っ子のようにひとりでヤダヤダをしたが、やはりどうにも痛い。

しかも、実はこの痛みは今に始まった訳でもなく、もう1年以上、時々痛んでいたのを、「もうっ。私ってば、運動不足?」などと、自分を騙し騙しやり過ごしてきた。新婚旅行中も、フランスの景色を眺めながら「綺麗なのはいいけど、それにしても、いって~な」等と思っていたのだ。シクシク。

生理が始まる前に痛まるような気もして、子宮系の不具合かもしれないと、それを知るのも怖かった。

そして、そのブログで頂いた泌尿器科の先生のアドバイスに従い、向かった病院。

レントゲン写真を撮った後、担当された先生はあっさり言った。

「あ、ありますね、石。4つありますよ」

「えっ!!よ、よ、よっつ?」絶句したまま私は裏側から光線に照らされ、おどろおどろしく浮かぶ写真を眺めた。

ビーグル犬のような先生の説明によると、右側の尿管に大きな石が1つと、腎臓に小ぶりなものが2つ。左側の腎臓にも、小ぶりなものが1つあるらしい。

「痛かったでしょ?」

「はい、痛かったですぅぅぅっ」私は、ピンと張ったひげを下げた老猫のように、すごすごと若いビーグル犬の問いに頷いた。

「大きなものが、右尿管結石で、それ以外が両腎結石だワン」

「ニャァ・・・~」

「今後の見通しとして、1.自然排石。それが無理なら、2.ESWLと言って、衝撃波で破砕するっていう手法ね。それから3.内視鏡的治療もありますワン」

「ニャァですか・・・」

「2.と3.になった場合は、入院をしてもらうことになるのだワン」

「ニャニャニャニャんと?入院ですニャッ?」

「ウ~、ワンッ」

「え~。ヤダヤダヤダニャ~。アタシ、昨年からもう2回も入院していて、こんりんざい、病院からは足を洗ったばかりなのですニャッ!!シャーッ!!」(←猫が敵と遭遇した時に出す声)

駄々をこねる私にビーグル先生は、次回は、エックス線を用いて人体の断層像を撮影するCT検査というものをして、石の詳細を調べると言う。それまでに、流れたらいいのにねぇ・・・と、とにかく水を沢山飲むこと、そしてピョンピョンジャンプするのが、効果的という報告も一応あると教えてくれた。

え~。ウサギじゃあるまいし、ジャンプなんかできるかいっ!と思ったが、ちょうど子ども英会話で「ウサギになりましょう。jump jump jump !! 」みたいなレッスンがあるのを思い出し、あれしかないな・・・と、思い立つ。

はぁ。一難去ってまた一難だが、ブログに腰痛事件を書いたお陰で、大事に至る前に病院へ行けて本当に良かった。

Kムラ先生、この場を使い、心から御礼申し上げます。誠にありがとうございました。私の馬鹿げた文章から、「危険信号」を察知頂き、お見事です。さすがプロでございますっ!!私が千葉に住んでいたら、絶対Kムラ先生さまの病院で診て頂くと思うのですが、あまりに恥ずかしいので、名古屋で良かったとも思う次第。

しかし、「アルパカ」「らくだ」「ビーグル犬」など、私に動物呼ばわりされるのも迷惑でしょうから、そういう意味でも、私が千葉に住んでいなくて本当に良かった。(涙)

さて、みなさん。(浜村純風に)

やはり、女性の体は女性として出来ているはずですわなぁ。30代で鬼のように働いたツケが、私には今頃出ていると思われ(第一、結石患者の9割近くが男性やっちゅう話やでぇ)、「覆水盆に返らず」と言うか、「後悔先に立たず」と言うか、そんな感じですわ。

特に出産前の女子に告ぐ。働きすぎにご注意くださいよ、ほんと。  

Posted by ミナック at 16:54Comments(2)TrackBack(0)結婚

2010年01月25日

エースを狙うな!



家族社会学者の山田昌弘さんと、少子化ジャーナリスト(!)の白河桃子さんの共著、『「婚活」時代』を貸していた叔父から手紙が届いた。叔父は、私の婚活仲間でもあり、私自身のコンカツ魂を揺り起こしてくれた人でもあるが、その叔父が私に礼を言っている。

「大変良い本を貸してくれて、どうもありがとう。今、娘さんのお見合いを頼まれている人へ、この本を是非読むようにと連絡した」らしい。

「本を読んだ上で、娘さん自身が本気で結婚しようと思うなら一生懸命相手を探すし、とにかく方向性を家族で一度考えてみて下さい」というような趣旨を伝えたようだ。

政治に携わる仕事をしてきた叔父の心に、この本が突き刺さったのが、私は嬉しい。

「コンカツ、コンカツ」と、大変軽く扱われる「婚活」だが、この現象は社会学の範疇に入っているわけで、日本の根幹が揺らいでいる象徴として、人々の非婚化が進んでいると認識したようだ。

本を読んだ人なら、「ひえ~」と理解した部分が多いと思うが、私の一番印象に残ったのは、以下の内容。

いわく、「バブル崩壊くらいまで、人々が『恋愛結婚した』と思っている結婚は、殆どが社会が作り出した集団見合い結婚である」というもの。

つまり、この時代くらいまでの恋愛は、殆どが「職場での出会い」であるということだ。

同じ会社に勤めているということは、相手の学歴、年収、出身地までがわかり、それは昔でいう「見合い結婚」と何ら変わりないという説明で、それを人々が恋愛結婚だと思い込んでいただけで、本当の意味での恋愛から結婚へ至った人というのは、実は意外と少数なのだと書かれてあった。

もちろん知人からの紹介も、「見合い結婚」の範疇だ。

ところが、男女雇用均等法の導入あたりから、リアルな恋愛結婚市場に放り出された男女はどうしたら良いのかわからず、多くの独身男女を生み出しているという説明に、私は首を大きく縦に振った。

私自身は勤めていた会社に「総合職」というカテゴリーで入社したが、同期総合職女性でさえ、この「集団見合い」的手法で結婚し、会社を去った人は半数以上いる。これでも私たちの時代は、一般職・総合職に関わらず女性の社員が入社できたから、こういうことがまだかろうじて起きていたが、今後はわからない。

何せ、一般職・総合職というカテゴリーがなくなったのを機に、女性そのものが会社に入らなくなってきたのだ。欠員が出れば、たいがい「派遣社員」という手段で、人員をまかないつつある。

これでは、これからの若い男性にとり、会社で女性と出会える確率は低い。

派遣社員というのは、一旦どこかの企業で働いていた人がなっているケースが多く、新入社員の男性とは年齢に10歳近く開きがある。

私が実際目にした、「派遣社員」と「社員男性」の結婚は、何百人といた社員の中でも、たった1~2ケース程度。それくらい、まずは年齢でマッチしない。

「ああ、本当に、世の中は凄い勢いで変化しているんだけどなぁ・・・」と、私は内心ハラハラしているが、これを言い過ぎるとおせっかいになるし、でも、本当に人々が考えるほど状況は楽観視できるものでもないよ、と言いたいが、そのバランスがなかなか難しい。

しかし!私が心の底から信じている希望もある。

状況は結構厳しいが、でも実は、本人さえ本気で取り組めば、これまた意外と相手も見つかるということで、嘘のような本当のような不思議な真理でもあると、思う。

そのキーワード、それは「エースを狙う」というよりは、とにかく「球を追う」ということだ。つまり、それが「婚活」である。

コンカツ中の人、ほんとガンバロなっ。  

Posted by ミナック at 15:14Comments(4)TrackBack(0)結婚

2009年12月27日

入院の副産物

アタシの名の由来は、flowerのように
                                 キャワユイからだろうニャ~ by 猫の花


アブレーション手術のために入院していた病院で同室だった女子の中に、92歳の方がいらっしゃった。

入院する朝、看護師さんに連れられて病室に入り、その方と目が合った瞬間、向こうからニコッと笑われた。

どう表現したらいいのだろう。

私には、そのお姿が観音さまのように見えた。92歳という年齢で耳も遠く、動きも特に大きいわけでもないのに、そこからはポジティブなエネルギーが出て、人をひき付ける感じがしたのだ。

果たして、それは正しかった。

彼女の元には代わる代わる家族や親戚の方が訪れ、さらに担当ではない看護師さんまでもがひょいっと病室を覗いては、声をかけて行かれる。

そしてご本人は、毎朝丹念に新聞を読み、それが終わるとご自分の食べたものや体温などを細かくメモされていく。

私を見て、東京に住む従弟の子どもにそっくりだと仰り、あまりに何度もそう仰るので、その私そっくりな従弟の子どもさんに是非会いたいとも思った。

それで。

私が退院する日、彼女の元にもうひとり同室だった方(こちらは75歳)と椅子を寄せ、お茶を飲みながら茶話会もどきをしていた時、その92歳女子は私の名前を初めてはっきりと知り、「ひゃっ」と声をあげられた。

それは、私の姓がその方の旧姓と同じだったからだが、そこから彼女はその「姓」の由来を知っているか?と聞かれた。

少しだけ何かで読んだ記憶があると答えると、家に戻ればそれを記した資料が沢山あるとの事。

歴史好きな私が、そんな話に食いつかずにいられるだろうか?いや、ない。

という事で、後日その方の息子さんがわざわざ我が家まで資料のコピーを届けて下さり、私は自分の厚かましさに呆れつつも、それを目を皿のようにして眺めた。

読み終わった後はそのコピーを夫へ差し出し、「さぁ読みたまえ」と押し付けた。だって、私は結婚して今の姓になったが、彼は生まれてこの方ずっとその姓だ。ウヒヒ。

それにしても、たった5日間の入院でも人と人とは出会えるもので、しかもその方の姿は、私がとても憧れるタイプの老人だった。

自分が目標にしたい人間に、あまり嬉しくない入院という状況の時に出会えたなんて、「入院した甲斐が、ここにあったものだ」と、ほくそ笑む。本当、どこにでもラッキーは転がっているものである。イッヒッヒ。  

Posted by ミナック at 12:02Comments(0)TrackBack(0)結婚

2009年12月26日

コンカツ作戦成功

←コンカツに成功した男友達の心を表現


少し前に連絡のあったコンカツ中の男友達から、また電話があった。

知り合いから紹介された女性に、出会って3回目のデートでプロポーズをしたら、見事に「OK」の返事をもらえたそうだ。

すばらしいっ!!!

その、素早くある意味強引なアプローチは、女性の心を打つ。(人による)

「で、花束は?花束は?」としつこく聞いたが、それは今のところ諸事情により渡せていないと言う。花の妖精の介在がなくとも、上手くいく時は上手くいくのか~と、納得した。

良かった良かった、彼はさぞかし楽しい冬休みを過ごすだろうと思っていたら、前職場の人から連絡があった。

なんと、私が勤務していた会社で所属していたグループに大編成があり、来年の秋には凄い数の人々が愛知県へやって来る見込みなのだとか。

ひゃ~。ここに知り合いが増えるのは、めちゃ嬉しい。

愛知県は医療が充実しているし、公園も多く、大阪府出身で名古屋市在住の友達は「とても子育てがしやすい県だ」と言っている。皆さま、嬉々としてこちらへお越し下さいませ~。(さらに、名古屋市民に限っては、元・民主党国会議員・河村市長の采配により、住民税が10%減税される見込みでっせ~)

と、思ったところでひらめいた。

「えっと、その移動してくるメンバーの中に、独身アラフォー男性っていたっけかな?」

ただ今、愛知県内にて、アラフォー男性大大大募集中でございます。こちらでも、関西と首都圏同様、独身アラフォー女性が沢山待機しておりますので、何卒ご期待下さいませ☆

来年も、見合いババア活動、やったるでぇ~!  

Posted by ミナック at 14:59Comments(2)TrackBack(0)結婚

2009年12月19日

カテーテル・アブレーション



先週の火曜日、9歳の頃から32年間もの長きに渡り私を悩ませ続けた発作性頻脈(不整脈の一種)を治すため、カテーテル・アブレーション手術にチャレンジした。

7時間半。

これ、私がその手術に要した時間。担当の先生がこれまでされた同類の手術の中では、最長時間を記録したらしい。

局部麻酔をしてもらい手術に望んだが、たいていの人は例え「局部」でも、眠った状態になるそうだ。ところが私の場合は時間が長すぎて、途中で何度か意識がはっきりとクリアになり、先生たちの会話も聞いた。「うっ」「だめだ」などという台詞を聞くと、「え~、私、まだやること山のようにあるから死なれへんし」と思いつつ、また眠ったり。結局、「やった、成功!」等という台詞を皆が言っている時は、意識がなかったのだろう。(笑)

終わった後、アルパカもしくはラクダを思わせる担当の先生が仰った。

「一度はあきらめかけたんだけど、途中でやり方を変えてみて、どうにか成功しました。いや~、良かった。良かった」

そうよね、そうよね。事前説明では、確か2時間から4時間で終わると言われていたのだ。

先生によると、私の心臓近くにはどうやら、あってはならぬ血管の回路が2箇所ほどあり、そのうちのひとつが非常に難しい場所にあったため、それを取り除くのに大変神経を使ったそうだ。いたずらに事を進めれば、傷つけてはいけない血管まで取り除いてしまう。

あぁ、アルパカもしくはラクダ先生、本当にどうもありがとう。

そういう草食動物を思わせるくらいの風貌をした先生だから、おっとりしていて、加えて根気強いのだ。

さらに術後知ったが、私を担当してくれたその先生はとても優秀かつ有名な方のようで、色々な地域から先生を頼って手術を受けに、人々がわらわらと集まるらしい。

う~、そんな立派な先生をアルパカもしくはラクダ呼ばわりするとは、何事だ、私!

ところでこの手術、周囲からは「簡単だから」と言われ続け、わが父などは「あんなもん、手術やあらへん」などと豪語していたが、結果的に想像していたよりその手術は簡単なものでもなかった。

実家で猫の花と留守番をしていた、「簡単、簡単」と、皆の先頭に立って息巻いていた父は、あまりに手術が長引くので心配が最高潮にまで達し、1分おきくらいのレベルで病院にいる母へ電話をしていたらしい。(笑)

つまり、同じカテーテル・アブレーション手術でも、治療内容や患者の状態によっては、簡単なんかではない場合もあるという事が良くわかった。

いや、実際何をもって簡単と言うのだろう。麻酔をするということだけでも、すでに一歩危険ゾーンに立ち入っているのだから、甘くみてはいけない。

ただし私の場合は深く考えずにトライして良かったと思う。「難しいかも」などと言われたら、それだけで精神的に参っていただろう。これで次回妊娠をしても、心臓のことを心配せずにいられるのは安心だし、そして何よりも、これからは突然発作に見舞われるしんどさを取り除けたのは、かなり嬉しい。

さて、この何やらカタカナが並ぶ手術名。カテーテル(Kathete:ドイツ語)とは「管」を指し、アブレーション(ablation )とは、「材料の表面が蒸発、侵食によって分解する現象を指す」ようなので、カテーテル・アブレーションとは、「管を使って血管の要らぬ箇所をなくしてしまう」ことを意味すると思われる。

アルパカもしくはラクダ先生から頂いた冊子によれば、こう説明がある。

「心筋カテーテル・アブレーションとは、経皮的に電極カテーテルを心臓内の標的部位に挿入し、電極カテーテルと体表に装着した対極版との間で、高周波通電(Radio Frequency:RF)を行い、頻脈の原因となる異常興奮部位を選択的に焼灼して不整脈を治療します」

その電極カテーテルは、上記イラスト図の丸(○)に当たる部分から挿入して進めていったというワケで、そんな箇所から心臓までえっちらおっちら上っていかねばならず、ほんと根気のいる手術だと思う。アルパカもしくはラクダ的資質をもった人でないと、出来ない手術かもしれない。

まぁ、そんな感じで無事に手術を終えた私は翌朝、生まれたての小鹿のように立ち上がり、そこからはみるみる回復していった。

出産以外での入院は二度とごめんだが、本を4冊読めたし、家事から解放される上げ膳据え膳の食事は有難く(しかも、毎回完食)、さらに今回も「お腹が空き、そして食べ物を美味しいって思えるって、本当に素晴しいわぁ~」と実感し、アルパカもしくはラクダ先生に深く頭を下げて、意気揚々と病院を後にした。

・・・

ところが、家に戻ればやっぱり家事が待っていて、上げ膳据え膳だった入院生活をすでに懐かしく思っている。いやいや、あかんねん。入院なんかするよりは、多少大変でも家事ができる分、幸せやねんってば。

全く、私も学習せぇへん人間やわ~、ほんま。(涙)  

Posted by ミナック at 16:25Comments(6)TrackBack(0)結婚

2009年12月08日

友引



12月6日の大安に、東京で10歳下の従妹が結婚式を挙げた。

前日までの大雨が嘘のように晴れ渡り、暖かな日曜日に見る従妹の晴れ姿は、身内の私が言うのも何だか、誠に綺麗であった。

「よよよ。ほんとに、良かったわ~」と涙を流す老従妹の姿に、夫は「あんたは母親か」と、あきれていたが、それ位嬉しかったのだ。

ところでその同じ日に、同級生の友達が、京都で結婚式を挙げた。こちらとは前日にメールでやりとりをして、「よよよ。ほんとに、良かったわ~~~~」と、「~」を3つ多く足したい位の気持ちで、40の友を祝った。

実は2人とも、私たち夫婦が昨年10月に挙げた式に、列席を頂いている。その時は両人とも、結婚の「ケ」の字も見えなかったのに、1年で大きく人生はブーメランの軌跡のごとく、行く方向を変えた。

良かった良かったと考えていたら、ふと私は気付いた。

「はれっ?私たちって、もしかすると、『友引』の日に式を挙げたんやったっけ?!」

そう言えば、同じく私たち夫婦の結婚式に列席頂いた、夫の友達も、先々週だかに結婚をした。しかもその場所は、一昨日、従妹が挙げた場所と同じところだ。

東京には、くさる程式場があるだろうに、同じ場所というのが、また偶然なり。

やっぱり「友引」とは、偉大なのだ。これは、コンカツ中の友人たちへ、「友引の結婚式招待状は、ダフ屋から買ってでも出席せよ」と、伝えようと、意気込んだ。

さらに、知り合いが最近結婚をしたので、お祝いを贈ろうと本日手配をした際、これまではそれ程気にしていなかったのにもかかわらず、わざわざ次の大安(12月12日)を指定した。

指定料にさらにお金を徴収されたが、神がかり的になっている私には、どうって事なしだ。

「えっと、ちゅうことはやでぇ~、あれとあれも大安にやって、あちらは先勝にでも??」

怪しい占い師のように、大安カレンダーを熟読し、予定日をアレコレ考えていた時、気付いた。

ガーン。

「ちゃうちゃう。私らの結婚式、本当は『友引』にしたかったんやけど、みんなの予定やら色々あって、結局違う日を選んだんやったやん・・・!バカバカバカ」と、自らの頭を殴りつけた。

従妹も友も、夫の友人も、「友引」とは全然関係なぞなかったのである。

さぞ自分のお陰かのように、喜んで従妹と叔母へメールを送りつけ、「さぁ、感謝しろ」と言わんばかりの態度で喜んだ自分を反省した。

コンカツ中の人へも、高いお金を出してまで、ダフ屋で買うのを勧めるのは止めよう。

・・・

しかし、ま、あれですな。

やっぱり、人の結婚式へ行くと、誰かにその福が渡るというのは、何となく本当のような気もする。先人たちが長年守り続けたしきたりや言い伝えには、それなりに意味があり、「迷信だ」と馬鹿にするのは、考えが足りないのである。(たぶん)

という事で、わざわざ割高料金を払ってまでも、知人の結婚祝いを「配達日指定」で郵送したその効果は、きっとあり、さらに今回従妹の結婚式に出席した、アラサー&アラフォー男女にも、何らかの変化があるだろうと、信じよう。


大安を確認するなら、ここでどうぞ。(笑)  

Posted by ミナック at 16:28Comments(0)TrackBack(0)結婚

2009年11月20日

手紙



先日、幼稚園へ行く前から仲良く遊んできた、このブログを読み続けてくれている幼なじみから手紙が来た。

来月、私が受ける、発作性頻脈(突然に、脈が200を超す程に激しく打つ)の手術を心配してのものだったが、その手術自体は胸を開けるわけでもなく、カテーテルアブレーションというものを利用してする、私の父の言葉を借りれば、「あんなものは手術ではない」くらい、簡単に出来るらしい(笑)。

しかし父は、医学の世界にいる人でも何でもないので、ちゃんと医者が書いたものを抜粋すると、「カテーテルアブレーションとは、カテーテルと呼ばれる細い管を体内の目的の場所に持ってゆき、その先端と背中に貼った対電板との間に高周波を流し、先端が接している心筋組織の温度を60度程度に上昇させ、目的の心筋組織を凝固壊死に陥らせ不整脈の回路を遮断、切断するものです」とのこと。

わかるようでわからないが、まぁ、とりあえず局所麻酔をかけた後、足の付け根くらいから注射針のような管を入れて、4時間くらいかけてやるそうだ。局所麻酔ということは、4時間もの間意識があり、退屈ではないだろうかと、その間本を読んでいていいのかなぁ?と、母に尋ねてみたが、「さすがにそれはまずいでしょ」と、言われた。

そりゃそうだわね。(でも、OKだったりして・・・)

今も年に1度あるかないか程度だが、突然心臓が速くなる事があり、その時は目の上を強く押す「眼球圧迫」という方法で心臓を一瞬止め、そのショックで脈を元に戻すという、医者からすればオススメできない方法で対処している。私にとっては9歳の時に習得したものなので、結構お手の物ではある。

ところで、それ位簡単に手術を出来るなら、何故今までやらなかったかと言えば、初めてこの症状を経験した9歳の時点でこれを治すには、胸を開けるしかなかったらしい。

カテーテル手術が日本でも頻繁に行われるようになったのは、95年くらいからだと、今回担当してくれる循環器の先生は言っていた。

確かに、25,6歳の頃、会社の健康診断でひっかかって心電図を取りに総合病院へ行き、わりと簡単に手術が出来ることを聞いた。出産の時に邪魔になるかもしれないから、今すぐではなく、結婚されてからでも手術を考えられたらどうですか?と言われたのを覚えている。

「そうやなぁ。結婚してから考えよう」と、その時は思ったが、まさか自分がそれから15年以上も独身でいるとは思わなかったので、結局こんな歳まで引っ張ってしまった。

今回手紙をくれた友は、小学校時代、一緒に子ども会のソフトボール部に入っていた。

彼女によれば、当時一緒に練習をしていると、時々私は発作を起こし、「うずくまってつらそうだったのを覚えている」そうで、それを読み、驚いた。

自分では、そんな事全く覚えていないし、たぶん大学生くらいから仲良くなった友の中には、こんな病気と言うか、心臓の癖を抱えていたとは知らない人もいると思う。

自分で止められる方法に慣れていたせいもあるが、心配させたり、その場の雰囲気を台無しにしたくなかったので、たとえ発作が起きても、トイレへ行くふりをして廊下の隅で止めたりしていたからだ。

でも、子どもの頃はまだ自分でよくコントロールが出来なくて、そんな風にうずくまっていたのかぁ・・・と、まるでアンジェラ・アキさんの歌のように、過去から手紙が来たように思った。

さらに、ソフトボールをやっていたのは、10歳から12歳の間なので、今から思えば何もわかっていなさそうな、そんな年齢の子どもが友の異変に気付き、さらにその記憶が残るなんて、小さくても人は人だなぁ・・・と、感動も。

小さな時を一緒に過ごした友が覚えてくれていたこと、そして今心配してくれていることが嬉しくて、ちょっとポロリときたが、医学の進歩で、本当にわが父の言うように、「あんなものは、手術とは言わん」らしいので、ご心配なく!

ということで、せっかく「昔から手紙が来た」ので、今度はアンジェラ・アキさんの曲を「You Tube」から引っ張り出してみた。NHKの中学生合唱バージョンで、これがみんなとても清らかで、すごくイケテます。


アンジェラアキ『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』(みんなで合唱バージョン)

アンジェラアキ『手紙~拝啓 十五の君へ~』(ご本人の歌声バージョン)  

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2009年11月10日

新幹線で、コンカツ



私、初対面の人には結構人見知りがあるし、気を張って話さなくてはいけないから、それほど得意でもないが、何故か乗り物で隣り合わせた人と長く話す機会が多い。しかもたいていは、ばーさん(いえいえ、おばあさま)だ。

飛行機の中しかり、新幹線の中しかり。

20代の頃、能登半島を一緒に旅した友人と地元の銭湯へ行った時、私が湯船につかりながら殆どのぼせた状態で、地元のばーさんと延々と話す姿を洗い場から眺めていた友は、こう言った。

「ミナックが、ばーさんキラー(と、彼女は表現した)な訳がわかったわ。相手の話に興味があるのかないのかは、わからへんけど、とにかく凄く頷いているでぇ~」

へ~?そうなん?

頷かれると、話しがしたくてムンムンなばーさんは、どんどん更に話しを続け、延々と会話を続けざるを得なくなるというのが、友の分析だった。

そんなばーさんキラー(らしい)私は、25歳の時、新大阪から乗った新幹線の中で、新神戸から乗ったと言うばーさんに話しかけられ、話を止められなくなった事がある。

静岡を過ぎたあたりで、彼女はちょっと黙った。

朝早く起き、東京出張のために乗った新幹線だ。出来れば眠りたい。そんな私のささやかな願いが叶えられるのか?と、一瞬目の前が明るくなったが、そうではなかった。

ばーさんは突然こう言った。

「あなた、彼氏はいらっしゃるの?」

「はっ?」

「うちにね、独身の息子がいてね。母親の私から見ても、ちっとも変なところはないと思うんだけど、一向に結婚しないのよ」

「はぁ、それはそれは」

「良かったら、うちの息子と会わない?」

げげっ。

積極的なばーさんは、その息子が日本を代表する商社に勤務をし、しかも学生時代からラグビーをしているようなスポーツマンで、さらに数年の間海外駐在をしていたせいか出会いもなく、婚期を逃しつつあることを私に告げた。

そして東京駅に新幹線が滑り込む前に、その肉食系ばーさんは、私から無理やりのように名刺を奪い、後日、勤務していた会社の部署に、茶封筒に入った息子さんの「身上書」が届けられた時には、ただ彼女の鬼気迫る積極性に白旗を揚げた。

結局それから、私がどうやって肉食系ばーさんと連絡をとったのかは、全く覚えていない。

会社に電話があったようにも思うし、添えられたメモの住所へ私が手紙を書いたのかもしれない。

いきさつは全く覚えていないが、なんと、私はその肉食系ばーさんの息子と会ったのである。年齢は、当時確か36歳で、私よりも11歳年上だった。

今から思えば、「青二才のちょろい若造」だったと思うが、何せ11歳も上だ。

見た目は結構男前だったが、当時の私には、「30歳より上はただのオヤジ」にしか見えず、話も全く噛み合わなかった。

しかもその噛み合わなさも、どちらかと言うと、「なんで、コイツは30を超えているのに、こんなにミーハーやねん?」と、むしろ私の方が年上のような感覚で話しをした記憶がある。

きっと向こうも、「なんやねん、おふくろ。素敵な女性をナンパしたとか言って、これがその素敵な女性かよ。けっ」とでも思ったであろう。

私はばーさんキラーであっても、決して男性をイチコロにするような、小悪魔タイプではないのである。ばーさんと波長が合うくらいな性格なので、当然のごとく、商社で活躍するイケイケ年頃男性となんか合うはずがない。

奇怪千万な行動で友人たちを驚かせ続けた私の経験の中でも、これは当時友達が、嬉々として聞きたがった、摩訶不思議な出来事である。

ところで明日、私は大阪の実家へ戻るため、久しぶりに新幹線を使う。

新幹線に乗る度、15年前に出会った、あの肉食系ばーさんのような人に会わないかなぁ・・・と楽しみにしているが、その後はとんと面白いことに遭遇しない。

さらに、今はどちらかと言うと、私自身が有能そうなイケイケサラリーマンをハントして、「私の知り合い女性と、コンカツデートしませんか?」などと、言ってしまいそうで、少々恐い。  

Posted by ミナック at 15:18Comments(2)TrackBack(0)結婚

2009年11月09日

コンカツのススメ



近所に住むおばさまが、「しばらく顔を見なかったけれど、ご実家に戻られていたのかしら?」と、電話を下さった上で、訪ねて来られた。

手には、岐阜県産の高級柿、富有柿を抱えている。

悪阻がひどかった時、それまで好きでも嫌いでもなかった柿を、「柿ってこんなに美味しかったっけ?!」と、今更ながらこの果物に開眼していたので、とても有難い土産だった。

「実はね、かくかくしかじかで・・・」

と、私は自分の身に起こったいきさつを説明した。

「まぁっ・・・!!!」

途端におばさまは、我がことのように目を潤ませて、お見舞いの言葉を述べられた。

「なんだか最近、そういう人がとても多いわねぇ・・・」

おばさまの周辺の人も多く、私と同じ状態で流産をしていると言う。

「私たちの時代は、あまりそんな話を聞かなかったけれど、どうしてかしら。国全体の食生活のせいなのか、女性が働きすぎているからか、それとも(検査薬などのお陰で)昔より妊娠が早くわかるようになったからかしら」

昔の女性は、妊娠したと気づかずに流産していた可能性もあるとは、産科医の先生もポロッと言っていた。私は私で、自分に起こった事はさておき、元来、何か事件が起きると、「それはどうしてだろう?」と、分析すべく色々考えるのが性分だ。

「うーん。友達にも、結構1回目は流産したという人は多くて、私と同じく分析好きな友達によると、現代女性は何らかの生活原因で、子宮が出産をする準備が出来ていない人が多いのではないかと、言っていました」

そう言うと、おばさまも「それはあるかもしれないわね・・・」

と、2人で大学の研究室で語り合うように腕組みしながら、淡々と互いの分析を主張しあった。私の腕には、おばさまから頂いた富有柿が入った紙袋があり、彼女の手には、まだ私に渡しそびれているらしい、何やら緑の野菜が入ったビニール袋がぶら下がっている。

はっと気付くと、外はそろそろカラスが鳴き始める時間になってきたので、親切で面倒見の良いこの方は謝りながら慌てて我が家を後にし、私は今ふたりで会話をした内容を心の中で反すうし始めた。

確かに私の友人たちにも、1回目は流産しました、という人は凄く多い。でも、その多くは20代後半か、30代前半でそれを経験している。

起こった出来事のつらさは同じだが、私と違うことは、私はすでに41歳6ヶ月になっていて、次をチャレンジするための時間が、たっぷりは残されていないということだ。

結婚したからと言って、すぐに子どもが出来る訳でもなく、人によってはとても時間がかかる。つまり、子どもを産むためには、それなりの時間を確保しておく方が精神的にも良く、子どもを産みたいという気持ちがある人は、やはり結婚はそれなりに適齢期を逃さない方がベターだと思える。

私がコンカツサポーターをするのをからかって、友達から冗談でこう言われたこともある。「自分が幸せだからと、いい気になってるでしょう~(笑)」

冗談だとわかっているが、結構傷ついた。

違うねん!私の活動は、以前ここへ書いたように、「37歳では、うちの息子には歳がおおすぎる」と、自分の知らないところで、親の知り合い同士で持ち上がった私の見合い話の末、先方のお母さんが仰ったという、その言葉に怒り狂ったのが、その発端だ。

つまり、「私のような思いを、後に続く女性たちにさせたくない」と言う、反面教師を意図してやっているが、まぁ、色々な人がいるから、解釈は色々あっても致し方ないのだろう。

しかし、私は自分の経験を基に感じた、信念をつらぬく。

やはり物事には、「適齢期」がある。

私は来月、9歳の時から抱えている心臓のちょっとした持病を治すため、また手術をする事にした。今度の入院は、5日間にも及ぶらしい。

9歳当時には出来なかった手術が、今は割と簡単に出来るらしいので、やってみようと決意した。

「子どもを産んでみたい」という思いを実現させるための時間だけを考えるとロスになるが、安心して出産するための前向きな行為だと、恐々ながらの決心である。

どうぞ、「まぁ、いっか~」と、何も活動をしていない、いつかは出産希望の30代前半くらいの女性がいたら、私を「目の前にある悪い例」として学び、今すぐ行動を始めることを、心の底からオススメいたします。

そうそう、私のこの悪例を目の当たりにしたせいか、31歳の従妹が来月、結婚する。出会ってから結婚を決意するまで、「あっ」という間のスピード婚約だったが、それは、私という反面教師の従妹がいたからだと自負している。(笑)

彼女はきっと私に感謝をし、とても名古屋に足を向けて眠ってはいないだろうと、確信するが、これ如何に?  

Posted by ミナック at 12:36Comments(0)TrackBack(0)結婚

2009年11月06日

花ちゃん病



実家で飼う猫の花が、2歳になるかならない頃、彼女は複雑骨折をした。

近所をうろつく不良猫に追いかけられびっくりし、飛び上がって着地したその場所に大きな石があり、そこに足をしこたま打って、玉砕したのだ。

彼女を病院に連れて行った後、母は具合が悪くなり、老人になるにつれ、心配性が加速している父はますます心配性になり、花を思うあまり、不良猫に向かって石を投げつけるという、動物虐待一歩手前のことまでやらかし、うちの家族は崩壊しかけていた。

花に対し、両親が妙に甘くなったのは、それからだ。

食欲のない花のため、極上のネコ缶に、タイやヒラメのおつくりを調達し、時々ミルクを欲しがる彼女へは、出来るだけ品質の良いものを買い与えていた。

怪我がすっかり治った後もそれら極上品に味をしめた花は、安物のネコ缶には見向きもせず、鰹節やカリカリも、袋から取り出したばかりの、新鮮なものでなくては手を出さないようになった。

そして10年が経った現在は、自分は動物界ヒエラルキーの頂点に君臨していると勘違いをし、老夫婦を奴隷に、私を気が向いた時の遊び相手くらいな思いで、日々女王様のような暮らしを満喫されている。

一方で。

先日悲しい手術を終えた私は、夫の運転する車で病院からの帰りに高級スーパーへ寄り、高級寿司に高級フルーツ、高級プリンに高級ゼリーと、どんどんカゴへそれらを放り込み、しかも「食べたいと思ったけれど、麻酔が残っているせいか、それほど美味しくないわ」と言い放ち、ちょろっと食べたきり後は夫へ押し付けた。

週末には「庭にもう一本、シマトネリコを植えようよ」と、わざわざ豊田市の園芸店まで出かけて、新しい木を2本購入した。

その数日後には、BEAMSの店にふらっと入り、「つらかったもんね。買おう、買おう」と言って、ダウンジャケットとシャツをあっという間に購入した。

その後も、値のはる刺身に、和菓子、フルーツなどをポンポン購入し、挙句の果てには、「ぱっと旅行なんてしてみない?」と、そんな口までたたき始めた。

「我が家の家計、大丈夫?」と、夫は不安をのぞかせる。

「大丈夫、大丈夫。ほら、あれがあるやん!」

それは、私が10年前に郵便局に預けた定額貯金で、すっかりそのことを忘れていたが、今月それが満期になると、ゆうちょから一通の葉書が届いていたのだ。

「う、うん。(でも、それで諸々かかる出産費用をまかなうんじゃなかったっけ?)」と、夫は言葉にならぬ言葉を私に向けたが、気が大きくなっている私は、そ知らぬふり。

しかしながら、こういう状態を続けると、贅沢が慢性化し、そしていつかは花ちゃん病になってしまうのだろうと、今日クリーニングを出しに行きながら、私はちょっと考えた。

帰宅した後郵便受けを覗くと、友からミルクティーが届いている。目頭が熱くなるメッセージ付きだった。

これ以外にも、先週からずっとメールや手紙、チョコレートにクッキー、DVDや本、花束に果物、猫グッズと、色々なものを色んな人々から頂いた。ブログを読んで下さっているが面識のない方々からは、「オーナーへメッセージを送る機能」を利用して、励ましの言葉を頂いた。

本当に本当に、有難い。ウルウルウル・・・(大粒の涙)

しかし、私は今日から心を入れ替えて、またいつもの生活に戻ろうと思う。

高級スーパーで買う、高級寿司や高級プリンには未練があるけれど、花ちゃん病に陥ると、そこから抜け出すのがきっと大変だ。

という事で、こんな私を支えて下さった皆様、本当にどうもありがとうございました。この場を借りて、心から御礼申し上げます。

さて、これを読んでいるだろう、夫くん。明日からまた、アオキスーパーで、激安品あさりをしようではないか。それが私たちには、きっとお似合いだ。(笑)  

Posted by ミナック at 17:05Comments(6)TrackBack(0)結婚

2009年11月01日

一日入院



「終わりましたよっ」

肩をポンポンッと強く叩かれて、目が覚めた。

「えっ?終わり?」

手術に望むため、前日晩から飲まず食わずで朝を迎え、お昼すぎまでずっと、栄養剤の点滴を打ってもらい、ベッドに横たわりながら長い時間を過ごしていた。12時半を過ぎた頃、夫にバイバイをして、手術室に入った後、その栄養剤が麻酔薬に代わったところまでは覚えている。

看護師さんが、「少し腕がチクチクしますからね~」と言ったのに対し、頷いたその直後から、全く記憶がない。

全身麻酔とは、これほどに即効性があるのか・・・と、眠りに入る時のように、ゆっくりと記憶がなくなっていくものではなく、プチンと意識が切れることを知った。万が一自分が死んでいても、あれなら全くわからないだろうと、身震いする。

麻酔のせいで、誰が誰だかわからないが、とにかく終わったことを知る。

「駄目かもしれない」と思い始めてからも自分に「大丈夫だ」と言い聞かせ続けた1ヶ月、ずっと背中に背負ってきた荷物を、ようやくおろせたような、それでいて胸にぽっかり穴が開いたような、どう表現して良いかわからない気分。

確かなのは、手術が終わったこと、どうやら横に夫が佇んでいること。それだけだ。

安心した私は、そこからまたしばらく眠る。

「帰りに美味しいフルーツと、お寿司を買って食べよう」

意識がはっきりし出すと、心の中でそればかりを考え始めた。朝から水1滴も飲んでいないし、ご飯一粒も食べていない。こんな時でも食欲を失わない自分に、「大丈夫だ、まだやれる」と思った。

悲しい思いは沢山したが、わかったことだって沢山ある。

一日滞在した病室には、私の母より少し若いくらいの女性と、50代前半位の女性が入院していた。

どちらの方も、子宮癌であるとか、そういう病気で長逗留されているようだった。

母より少し若い女性は、運ばれたお昼ご飯を、「食欲が全くわかないから要らない」と言っていたし、50代前半の女性の髪の毛は全て抜け落ちていた。

そんなふたりが、私を気遣ってくれる様子が伝わってくる。

え~い、私にはまだ食欲があるじゃないか!食べ物だって、どうやら食べられそうだ。こんな経験をしなければ、普段は感じられないことを感じ、当たり前のことを当たり前ではないと思えた。

みんな、色々な形の悩みをいろいろ背負いながら生きている。これしきのことで、へこたれていては、これからの人生、やってけない。私は自分にそう言って、1日だけ同室だった女性ふたりに挨拶をし、長い一日を終えた。

手術を終えた翌日から、私の基礎体温は見事に下がった。

妊娠をしてからずっと高温が続き、いつも微熱があるようでだるく感じた体も、元に戻りつつある。

それが今の私にとっては、朝一番に感じる悲しい現実だが、きっと少しの間だけお腹にいたあの子は、また戻ってくるに違いない。

そう信じている私は、妊娠で食欲が減退し、最近全く料理が出来ていなくて申し訳ないと思っていた夫のために、昨日は栗ご飯を炊き、今日は餃子を作った。

ご飯を食べられる。しかも美味しいと感じる。

それって、何て有難いことなのかと、台所に立ちながら私はしみじみ思った。  

Posted by ミナック at 19:02Comments(4)TrackBack(0)結婚

2009年10月28日

そういうふうにできている



「ちびまる子ちゃん」で有名な、さくらももこさんの著書に『そういうふうにできている』という、エッセイ集がある。

初めてさくらさんのエッセイを読んだとき、「すごい上手い文章だなぁ」と感じ、あの漫画は表現手段のひとつであって、本来この方は文筆家であり、思想家なんだと、思った記憶がある。

それで、その『そういうふうにできている』。

さくらさんが帝王切開で子どもを産む時に使った局部麻酔のせいで、それまでずっと疑問だった、人の「魂」と、「脳」と、「心」の関係が、スルスルっと解けたと書かれてあった。

子どもを産むと、例えばスピリチュアルや占いで一世を風靡した、江原さんであるとか、細木さんであるとか、そういう人の意見など、「ちゃんちゃらおかしい」という感じになる位、その神秘を身をもって体験できるのではないかと、私は考えて、そんな特権を与えられた女性として生まれたからには、一度体験してみたいと感じた。

歳がいってから結婚した私だが、本来の少々1本足りない性格のせいか、特に焦る気分でもなく、むしろ人からヤイヤイと言われて、「うーん」と思った直後に妊娠がわかった時、「なんだ、心配しなくても、大丈夫だったやん」と、さくらさんの「そういうふうにできている」を、実感した。

ところが、自分の意図しない方向へ、物事は「そういうふうにできている」場合もある。

結局、私の中に宿った遺伝子は心臓を動かさなかった。診断書には、「子宮内胎児死亡」と書かれてある。

これを宣告された後、私は3日間泣きつづけて、その3日が明けた朝、自分の置かれた立場を受け入れた。

受け入れはしたが、何もする気が起こらない。起こらないが、夫と、とにかく外出した。何でもいいから外へ出て、動かない心に刺激を与えなくては、自分がどんどん深みにはまっていく気がしたからだ。

そして、あまり気乗りがしないまま入った書店で、向田邦子さんのエッセイ集、『父の詫び状』を偶然見つけた。

向田さんが書かれたものは殆ど読んだと自負している私だが、どういう訳かこの本だけには今まで巡り合わず、保留状態にあったのだ。

重い手でその本をとり、「まぁ、何も読まないよりはマシか」と思って、同じく重い足でレジへ向かい、購入。

喫茶店に入って本の文字を目で追っているうちに、私はある一文に釘付けになる。

「半年ほど前、母の心臓の調子のよくないことがあった。発作性頻脈といって、一時的に脈拍が200を越すのである」

あぁ、向田さんのお母さんは、私と同じ病をもたれていたわけ?なんて偶然!

そう思った時、私は自分の手術へ意識が向いた。「そう言えば、流産手術をしている時に、この発作が起きたら、一体どうすればいいのだろう」

それまでは、胎児の心音が聞こえなかったことのショックで、私は自分の体の状態に思いが至らず、現実的なことから目をそむけていた。しかし、手術は超現実であり、受けるのであれば、少しでもリスク回避できる環境を作らなくてはならない。

そこで私はすぐに、今回かかりつけになった個人産婦人科クリニックへ電話を入れ、状況を説明すると、すぐに総合病院への紹介状を書くから、一度診察してもらって欲しいと言われる。

「また、一連のあの検査を、一から始めなくてはならないのか・・・」と、気が遠くなるような脱力感に襲われつつも、頭をブルブル振って気持ちを奮い立たせ、紹介された大きな病院へ行き、最後にエコーで流産の確認をした後、心電図を取り、胸のX線写真を撮り、産科の先生と、循環器の先生両方の診察を受けて、準備を整えて、そして明日、その手術をすることが決まり、ようやく落ち着いた。

事務的処理をこなすという嵐がひとつ過ぎ、落ち着いたら、また悲しみが私を襲う。

「人間を構成する、魂、脳、心が別物だとすると、胎児への魂はいったいいつ入るのだろう?産まれる直前?あるいは、心臓が動き出してから?もしくは、受精してすぐ?」

医学的には、私の中に宿った遺伝子はまだ「人間」ではなく、形もない。先生によっては「胎児」と表現するが、別の先生によっては「胎芽」としか表現しない。

それでも、妊娠したとわかった瞬間から、ひとりで車を運転していても、ふたりでいる気がしたし、道を歩いていても、目が4つあるような気がしていた。

「これと似た悲しみを、過去に経験した」と思ったら、それは15年間一緒に暮らした、犬が死んでしまった時の、あの脱力感に似ていると気づいた。時が経つうちに薄れる悲しみもあるが、時が経つことで、大きく自分を覆う靄のようなその悲しみが硬い核となり、ラップで頑丈に包んでおかなければ、ある時心の中で暴れだし、どうにもならない種類のものもある。

今回のこの出来事も、そんな風にいつまでも自分の中から離れないのだろうな、と思う。

これまでどうにか健康で暮らせてきた私が、生まれて初めての全身麻酔を受ける。手術をしている間、私は眠った状態になり、目が覚めれば、全ては終わっているのだろう。

でも、さくらももこさんの言う、「魂」「脳」「心」が別々に存在し、もしも遺伝子の中にすでに新しい魂が入っているのだとしたら、きっと無意識と無意識で、私は悔いなくさよならを言えるのだと思う。出来るだけのことは、全部した。

今回、出産を経験する一歩手前で私はそのキップを手にすることができなかったが、ここまでの道のりだけでも、かなり多くのことを考えて、そして学んだ気がする。

私のような結果に終わる人も、なかなか妊娠できない人も世の中には沢山いる。一方で、世の中には、まだその可能性にチャレンジしていない女性もたくさんいる。

出産は命がけだと私は思った。明日の手術で万が一、私が帰らぬ人となる可能性だって、ゼロではない。そんな危険なことに、本来安定志向の私が、手を出すはずがない。でも、無事に手術を終え、体と気持ちに整理がついたら、私はきっとまたチャレンジすると思う。

今の日本で命をかけてすることなんて、鳩山総理クラスの政治家だって、そうそうないだろう。

という事で、出産の一歩手前の「結婚」。

落ち着いたら、またコンカツサポートを頑張るので、活動中の人はあきらめずに頑張ろう!と、エールを送りたい。あるいは、今の私はこんな風にも思う。

「結婚はずっと後でも良く、何ならしなくても良いから、出産を先に頑張ろう!」と。  

Posted by ミナック at 12:06Comments(2)TrackBack(0)結婚