2010年09月09日
恋愛論・De L'Amour

「ワシ、ほんまにスタンダール?」
先日、美容院へ行ってカラーリングをしてもらいながら、本を読んでいました。
担当してくれていた若い男性美容師Aは、きっとマニュアルにある「客との和やかな会話」をしようと思ったのでしょう。ペタペタとカラーリング剤を私の髪に塗りながら、「何を読んでいるのですかぁ~?」と、聞いてきた。
黙って本の表紙を見せる私。
『恋愛論(De L'Amour)』・スタンダール(Stendhal)著
と印刷された文字に、ギョッとする美容師A。
「ハハハ。お、面白いですか?」
「いいえ、全然」
さらにギョッとする美容師A。
「(こ、この方、結構新婚さんだと以前言っていたはずだけど、結婚生活が上手くいっていないんじゃ・・・?)」と、さぞかし訝しんだことでしょう。ごめん、ごめん。
いや、それにしてもこの本が200年も売れ続け、読まれ続けてきた意味がわからない。
私が今手にしているものは、大岡昇平さんが訳された新潮文庫のもので、これだけでも昭和45年から数えて53版も増刷されている。あぁ、ほんまかいな。
私は何も高尚な意志を持って、これを読み始めた訳ではありません。
コンカツサポーターとして、「ほらほら。スタンダールの『恋愛論』でも言ってますやろ」と言えば、ハクがつき、説得力も得られるのではなかろうかとヨコシマな考えがあったのです。
しかし、あまりにもくどすぎて、何か目の前で戦争が起こっているのに、ひとりで詩を朗読しているかのようなペースがまた気に入りません。
「まどろっこしいっちゅうねんっ!!!」
200年前に生きたフランス人に向かって私は文句を言い、何度こんな本、もう読むのは止めようとページを閉じかけたことか。
ところが、「もう少し先へ行けば、何かコンカツに役立つキーワードがあるかもしれぬ」と、淡い期待を寄せてしまい、諦めきれない。
挙句の果てには、「恋愛は結晶作用である」(=好きになると何もかもが良く見える現象)と同じことを何度も、日本語にして400ページにも及ぶ文章を認めたあと、最終の「補遺(ほい:洩れたりした事柄を後から補い加えること)」の冒頭に、「この本は成功しなかった」とは何やと~?ざけんなよ~!なら出版するないっ!!
と、ひとり絶叫するミナックさん。
ま、唯一言えることとして。
「ほらね、スタンダールの『恋愛論』が2世紀にも渡って世界中の人々から読み継がれてきたことこそが、人はいくら理屈で押さえ込もうとしても、湧き出る恋愛への興味や感情に勝てないちゅうわけやねん。ほな、コンカツがんばろか~」(注:当時のヨーロッパ貴族女性は、結婚後に恋愛をするのが普通だったそうなので、まぁ厳密には当てはまりませんが・・・)
くらいでしょうか。
あぁ、本当に読んだ価値はあったのかしらん、ねぇマリちゃん?←スタンダールさんの本名。マリ=アンリ・ベール(Marie Henri Beyle)。
■『恋愛論(De L'Amour)』(スタンダール(Stendhal)・著/大岡昇平・訳)
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2010年09月08日
食いしん坊万歳!・Banzai! greedy-guts

おっこと亭の、もりそば

おっこと亭の、かけそば

おっこと亭の、野菜天ぷら

おっこと亭の、店構え

こやぶ竹馨庵(ちくせいあん)の、にしんそば

こやぶ竹馨庵(ちくせいあん)の、ざるそば

こやぶ竹馨庵(ちくせいあん)の、店内風景

こやぶ竹馨庵(ちくせいあん)の、店構え
ハ~イ、食いしん坊万歳レポーターの、ミナックさんです。
さぁて、今日ご紹介するのは、そばですよ、そば。こんなに暑い日が続く今年は、そば、ソーメン、そば、ソーメン、そば、そば、そば、そば・・・と毎日お献立に花を添えていることでしょう。オッホッホ。
いや、しかし暑すぎるんちゃうのん?ほんま。
こんな天気があと1ヶ月も続くなんて、地獄に近いやん。・・・と、毎晩ひとりで切れている私。そろそろ届く先月の電気代請求書、あら恐ろしや~~~。
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では、1軒目は長野県からエントリー。店の名前は、「おっこと亭」です。(写真あり)
ここは、八ヶ岳へ行った時に2度ほど寄りました。店自体は、長野県諏訪市にありますが、5分車で走ると山梨県側にたどり着くという県境に位置しています。
しかも、八ヶ岳連峰も清里も、そして沢山の別荘地もすぐ近くにあるという恵まれた環境。
もりそばと、かけそばのみというシンプルなメニュー構成なので、サイドメニューとして野菜の天ぷらを付けるのが、宜しいかと思われます。
かけそばを注文すると、汁が真っ黒なのに関西人の私はビックリギョーテンしますが、これが世に言う、関東風のだし汁なのでせう。
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2軒目は、同じく長野県の伊那市からのエントリーで、店の名を「こやぶ竹馨庵(ちくせいあん)」と言います。同じ長野でもここは岐阜よりの長野県にありますよ。(こちらも写真あり)
藪のような中にひっそりと佇む店は、売り切れたら営業終了という販売スタイル。
店内からは周囲に広がる木々の様子を大きな窓ガラスを通して眺めることが出来、食べた後は畳の上で、大の字になって眠りたくなるほどの気持ち良さ。
ここを訪れた時の先客に、日本人男性とフランス人女性と思われる夫婦がいました。奥さんの方は、乳のみ子のお子へ、豊かな胸を差し出し、お乳を飲ませていたのが印象的です。あ、これは全くの余談ですね。
そばは、つなぎを全く使わない10割そばとのこと。ニシンの甘みと大根の辛味が絶妙にマッチした、にしんそばは、私のお勧めです。
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そして最後は、岐阜県中津川市からのエントリー。店の名前は「そば工房 旺麦(おうばく)」(写真撮り忘れ。ばかばかばか!)
下呂温泉や高山へと続く国道257号沿いに、普通の定食屋のような店構えで建っていますが、物凄い数の車が停まり、順番待ちしている人が沢山いることから、人気があるのだと推察出来ます。
確かに車のナンバーを見ると、岐阜、名古屋、三河、品川、浜松なんてものまでありました。そばファンの飽くなき探求は、人を何百キロでも走らせるのか?ちなみに私たちは偶然通りかかり、引き寄せられたクチです。
そばは10割ものと、オリジナルブレンドだという二八があり、その他カレーうどんなんかもあって、これがまた絶品の旨さ!でありました。
暑さで頭がぼんやりし、更に店内に置いてあった雑誌サライを読みふけりすぎ、写真を撮り忘れたことが悔やまれます。
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では、こちらが店の情報です。岐阜県へ長野県へと行かれる方は、是非お試し下さいな。
ほんじゃぁ、また来週も食いしん坊万歳!を、よろしくね。(って、もうネタないやん)
■おっこと亭
└http://www.okkototei.jp/
■こやぶ竹馨庵(ちくせいあん)
└http://www8.shinmai.co.jp/soba/sobaten/data/168.php
■そば工房 旺麦(おうばく)
└http://www.soba-oubaku.com/
2010年09月07日
イケメン君・Mr.nice-looking

義兄の子供、20歳のイケメン君との初デートは2人で6時間ほどを過ごすという、大成功のもと幕を閉じました〜。
孫をあやすばーさんの如く、「何でも好きなものを食べていいねんで。行っていいねんで」状態で望んだら、彼の食べたいものナンバーワンは、ひつまぶしと言う。
「おお、そうかい、そうかい。よっしゃ、よっしゃ」と、あつた蓬莱軒へ向かう。
諸事情で、時間を決めて現地集合をしたのですが、彼の方でちょっと遅れる事態が発生し、私は店の人の計らいで、軒先で待たせてもらうこと約30分。
その間、待っている客を案内する係の人が何度か私をチラチラと見て、「お連れさん、まだですのね」という顔で微笑んでいきました。
そして、とうとうイケメン君が現れたら、心なしかギョッとする店の人。
きっと現れるのは、私と年齢の釣り合ったじーさんだと思ったのでしょう。若い店の女性の心の叫びが聞こえた気がしました。
「ちょっとちょっとぉ。あんたたち、どんな関係?親子にしてはちょっと年齢が近い感じだし、きょうだいというのも何だか違う。・・・ま、ま、まさか?ルミ子と賢也(いや、古すぎるか)もしくは吉本芸人のシルク(50代の彼女の婚約者は大学院生らしい)状態なのか?」
へっへ〜んだ。いいだろ、いいだろ、イケメンだろう!?と、勝手に鼻高々になっている、42歳の叔母。
しかも絶品のひつまぶしを食べた後、当初見学を予定していたトヨタ博物館(トヨタ自動車が、地球博の開催された場所近辺に開館している一般者向け施設)の詳細を伝えると、車の中身、つまり電気制御の部分であるとか、エンジンまわりの様子などが見られないのは、面白くないと言う。
げっ。これぞ理系男の真髄か。
そんなことを夫が言おうものなら、「なんやと〜。オイ、コラ、なめんなよ」と、予定していた通りの場所へ行ったでしょうが、そこは可愛い甥っ子君のリクエストです。
私たちは信号待ちをしている間に、車のナビに「トヨタテクノミュージアム 産業技術記念館」という、いかにもマニアックそうな場所の電話番号を入力し直し、突如として行き先を変更した。
ふたを開けてみると、ここはトヨタグループの発祥である、自動織機が生み出された場所で、旧豊田紡績本社工場があった地だと理解をし、「企業の歴史好き」な私としては俄然好奇心が湧きました。
「そうか〜。イギリスの産業革命は、家で細々と機織をしていたばーさんや奥さんの仕事が工場で出来るようになったことから始まったんだったよな〜」などと、高校時代の授業を思い出し、ついでに美人だった社会科の先生の、白い肌と紅い口紅を塗った顔などが目の前に浮かぶ私。
という感じで、自動織機から自動車の世界へと進出するトヨタグループの、これまではぼんやりとしか把握していなかった歴史を知り、かなりマニアックな約2.5時間は静かに過ぎていったのでした。
あ〜、楽しかったわぁ〜〜。
えっ。
もちろんその頃夫は、Yシャツを汗だくにしながら働いていたでしょう。しかも、私たちが一人前2,600円もするひつまぶしを食べている時分、彼は390円のおにぎり弁当を嬉しそうに食べていたと想像しますわ〜。悪いなぁ〜。でも私たち一族の大切な未来の当主やから、接待しなあかんしな〜。うっしっし。
■トヨタテクノミュージアム 産業技術記念館
└http://www.tcmit.org/
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2010年09月06日
うちの子天才・My boy is genius

これ、アメリカ人の友達の家。ここへいつか修学旅行をしたい、ミナック先生。
私の移動に伴い、今英語を教えている子供の引継ぎ先生を探しています。
色々とあたった結果、「ここぞ」と言う教室へ子供(6歳男子)を連れて行き、合計5名のクラスでのレッスンに参加させ、私は横で見学を。
そこで、驚愕する(いや、うすうす感じてはいたが)事実を知る、私。
な、なんと、私が教えていた男の子は、私自身が把握していたよりもずっと深く教えたことを理解していて、新しい先生の問いにスラスラ答えるのです。
元からいるそのクラスの子供たちはぼ~っとしているのに、その子だけ先生との対話が出来ていて、これって本当に凄い。
りんごはアップルであるとか、バッタはグラスホッパーであるとか、そういう単語だけを覚えていくのは、まぁ、回数を重ねれば誰でもきっと出来る。
しかし、相手が何を言っていて、その時の適切な答えは何か(例えば、先生がトランプを渡してくれたら、サンキューと言うとか、1枚足りなければ、ワンモアプリーズと言ったり・・・など)をその場で選択し、対応出来るというのこそ、英会話レッスンの目的であり、「会話」だと思います。
LとRの発音が・・・とか、TとDの発音が・・・なんて、別にぶっちゃけどうでもいいのです。だって、私たちは英語が母国語ではないのだから。
大切なのは、相手が何をいわんとしていて、それに対応するにはどの引き出しを開ければいいかを判断する力を養うことであり、あぁ、これぞ私の目指した方針だわぁ~と、ひとりウルウルするミナック先生。
「・・・という感じで、どうも彼はもっと上のクラス、例えば小学生とかと一緒になど、で学ぶ方がいいかもしれない」と興奮気味に言う私に、夫は冷静な一言を放ちました。
「それを世間では、親ばか(先生ばか?)って言うのではないか」
・・・
失礼しました~。
でも、横で見学していた私は嬉しくて嬉しくて、「1年で終わりそうだけど、教えてきて本当に良かったな~」と、心の底から感じましたです。
ちなみにまだ6歳の彼の夢は、ご両親と2歳の妹さんを連れてアメリカのディズニーランドへ行き、自分が彼らの通訳をしてあげることだそうです。
あぁ、先生も必ず後ろからフォローするために付いて行くからねっ!(←筋金入りの先生ばか)
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2010年09月05日
麺アレコレ・various noodles

味仙の台湾ラーメン

チャオのあんかけスパゲティ
名古屋に来てから、麺の摂取量が増えました。
上段写真は、名古屋市千種区の今池(いまいけ)という場所にある、『味仙』(みせん)の「台湾ラーメン」。
「それって、中華民国の、あの台湾のラーメン?」
と、初めは不思議でならなかったのですが、どうやら台湾出身のオーナーがこの店で売り出した超激辛ラーメンが人気となり、今では「台湾ラーメン」という名古屋めしのひとつとして、多くのラーメン屋やショッピングモール内のフードコーナーなどでも見かけられるようになりました。
ま、とにかく辛いの何のって!でも、やめられない美味しさなのだ。
お次は、『チャオ』の「あんかけスパゲティ」。
『ヨコイ』のものは、一度このブログでも書きましたが、たぶんチャオの紹介は初めてかも?
あんかけスパゲティとは、見た目はナポリンタンのようなソースのかかったスパゲティで、ところがそのソースは片栗粉でとろとろ感がつけられてあり、さらにちょっぴりスパイシーな味をした摩訶不思議なもので、食べるうちかなりはまります。
この商品の発祥は、ヨコイの方らしく、ここのものはレトルトパックとなりスーパーでも普通に売っています。
名古屋に移住される予定の方は、こんな名古屋めしづくしの日々を想像して、楽しみになさってくださいませ~~~。うっふっふ。
その他、私がまだ行けていないものに、『喫茶マウンテン』という店があり、ここのスパゲティには抹茶味の麺の上にソフトクリームやあずきなどがのるらしい。「げげげ!!」と、かなりドン引きしますが、テレビの取材でレポートをしていた西川きよし師匠によれば、「意外に旨い!」らしい。
そうか。それは行かねばならん。
という事で、食いしん坊万歳・ミナックさんの、ダラダラ名古屋グルメレポートでした。
■味仙
└http://www.misen.ne.jp/
■チャオ
└http://www.ciao-morita.co.jp/ciao/index.html
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2010年09月03日
ブログ炎上・blog under fire

たまに読んでいる、とある猫ブログが2,3日前に炎上をしていました。
あ~あ~。
きっかけは、ブログ主が載せた動画に「これは、動物虐待である。不快だ」というコメントを寄せた人がいて、それに同調した人からあれよあれよという間に「賛成。不快だ」コメントがたまり、そして今度は逆にその不快コメントに対して、「あんたのそのコメントの方がもっと不快だ」という逆襲コメントが溜まり出し、最終的にその動画は削除され、長文のお詫び文を掲載するという流れになった模様。
私もたまたまその動画を見ていたので、事の成り行きにあらら~と、まぁ、これは火事を眺める野次馬根性以外の何者でもありませんが、しばし眺めた後、「ま、しょせんこれが人間世界の現実だわね」と結論づけました。いや、でも、それにしてもやっぱり怖かった。
何をしていても、賛同者と不賛同者がいるのは仕方のないことでしょう。
現に、私のブログも「耐えられん!」と、日々イライラしている人もいるでしょうし、「いつか絞めてやる」と、手ぐすねひいて待っている方もいるに違いない。ひえ~ん。す、すみません

そして、今回は自分とは無関係だという気楽な立場のせいもあり、冷静にこういう時、「ひどいこと言うよね」と言う穏健派よりは、誹謗中傷で、どんどん辛らつなことを書き始める人の心理状態に興味を覚えました。
自分の友達でも彼氏でも彼女でも親でも子供でもない、素性すら知らない人が書く内容など放っておいたらいいのに、どうしても中傷せずにいられない人の心は一体どうなっているのだろう?と、ムラムラと好奇心が湧いたのです。
想像1;完璧主義者である。だからこそ、他人の行動や書くものに少しでも間違いや
気に入らない点があると、それが許せなくなり、是正させたくなる。
想像2:暇である。時間が有り余っているからこそ、人が書く小さなものを目を皿の
ようにして眺め、中傷し始める。
想像3:Sである。人を中傷し、相手が「グ~」と言っているのを眺めるのが、ただ
単に楽しい。
想像4:嫉妬をしている。日々何万、いや何十万もヒットするような超人気ブログに
常日頃からジェラシーを抱いていたところ、ここぞ!と思われるチャンスが
舞い込んできたので、いきなり鬼と化した。
想像5:欲求不満である。自分自身に何か満たされないものがあって、そのイライラが
他人へ向かい、どうでもいい内容にケチをつけ始める。
あぁ、こんな事書いたら、「てめ~、わかったような口聞くんじゃね~」と、メールとか届きそうで怖いわ。本当に怖いわ。(しかし、手が勝手に書き始めて止まらない)
思い起こせば、こんな事が昔ありました。
その時私は会社員で、これから世に売り出す商品の社内モニターを募り、応募してきた社員の中で抽選をし、選ばれた人々に向けて日々、メールレターを出す当番をしていました。
するとある時、ひとりのモニターからそのメールレターに対し、「どこそこの文章の表現方法がおかしい。もっと勉強なさったら?」と、イヤミたらたらのメールが届いたのです。
互いに全く知らない間柄ですが、相手の名前と所属部署名、社員番号はわかっているので、おおよその輪郭はわかります。
当時私は36歳だったので、社員番号から察するに、たぶん40歳近辺だった、デスクワークをしている女性。それがデータからわかった、相手のフレームでした。
その後もどんどんとイヤミメールは加速し、その都度私は頭に血が上っていたのですが、何故か相手の顔を見たいという思いには駆られなかった。
所属部署名と名前がわかっているのだから、その部署へ行き、当の本人とさしで話しをすることも可能でしたが、見なくとも相手のおおよそのイメージは想像できたし、第一「面を明らかにして」刺されでもしたら嫌やん?
いや、嫌やん?などと鷹揚な事を言っている場合ではない程、私自身は当時忙しかったので、相手にしたくとも出来なかったと言うのが、本音かも。
しかしメールレターを届ける度にイヤミメールが届くのも精神衛生上宜しくなかったので、ある時私は内線電話を使って直接彼女へ電話をしました。
「はい、○△部の、■Xです」
「あのぉ、こちら、○○商品の件でいつもメールレターを送らせて頂いている、ミナックさんと申しますが、いつもメールバックをどうもありがとうございます」
この時の私の気持ちには、嫌味な気持ちは正直なかったし、細々とした指摘を受けて再検討する勉強の場にもなったりと、ま、「ありがとうございます」程ではなかったものの、「ありがとよ」という程度には本当に思っていました。
すると相手は、まさか私から直接電話があるとは想像していなかったのか、途端に「あわわ」状態になり、さらに想像していたよりも綺麗な声をしていたから、こちらは拍子抜けをしました。
人前では引っ込み思案なのに、文章やメール上ではかなり雄弁になる人がいますが(ま、私もその一味ですがね)、彼女もそうだったのではないか?と、話しながら分析したりなんかして。
それで、最後は「オホホホホ。では、失礼しますぅ」と、電話を切った彼女、それ以降、プツリとイヤミメールは止みました。
果たしてあの人は今でも会社員生活を続けているのだろうか?、そしてどんな風に暮らしているのだろうか?と、好奇心は湧きますが、私のアバウトな性格上、彼女の名前も部署名も全く記憶にないため、今更探りようがありません。
きっとこの時の彼女の心理状態も、上記想像1.~5.の中のどれかか、それに近い何かを抱えていたのではなかろうか?などと、何となく想像してしまう。
では最後に締めとしまして、私が目撃した超人気ブログの炎上のように、今後同じようなことがどこかで起こった場合、ブログ管理者はどう対応するのが良いのか?と、少々思考をめぐらせてみた。
そこで思いつくのがこんな感じ。
基本は中傷コメントをサラリと流し、「私はそんなつもりは全くなかったのですが、不快に思われた方へはそんな思いをさせてしまい、本当に申し訳ございません。ごめんね、ごめんね、ごめんね~
(涙)」とでも書いて、画面の向こうでペロリと舌を出すと言うのは、どうでしょう。・・・
この文章を読んで「き~。人を馬鹿にすんな!」と思われた方へも、「私はそんなつもりは全くなかったのですが、不快に思われた方へはそんな思いをさせてしまい、本当に申し訳ございません。ごめんね、ごめんね、ごめんね~
(涙)」(ペロリ)
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2010年09月02日
野田さんについて・Talking about Ms.Noda

先日、大阪で会った友人と、自然に野田聖子さんの話になりました。
その前日に、「50歳で体外受精に成功!現在15週」というニュースが流れていたからです。
「50歳で母になるのか~」
「そうだね~、50歳だよね~」
ふたりで感心した後、体外受精に賛同出来るかどうかはさておき、「”こう”と決めた道を邁進した、彼女は凄い。さすが政治家!」と、若干話しがそれた。
だって、『私は、産みたい』って言う本を出版されている時点で、すごいエネルギーだよね・・・と言い合った後、では50歳で子供を産むとどうなるかという推測を始めた、40女ふたり。
「やっぱりしんどいと思う?」と、問う私。
すると、39歳で初産をしている友からは、何ともまぁ、力強いお言葉が。
「う~ん。しんどいかしんどくないかと言うよりは、産んでしまえば、自分が育てるしかないからな~」
つまり、その状況になれば、いくらしんどくともやるしかないと言う、覚悟です。あぁ、友よ。いつの間にあなたはそんなに強くなったのかい?と、私はウルウルと涙を流さんばかりに感動しました。
同期入社の彼女とは、互いに23歳の時に出会った仲ですが、友の細身の体は見るからに体力がなさそうで(ごめん)、現に仕事が混んで来ると、結構倒れていた記憶があります。
産んだ直後も、「しんどい」と口走っていたのにもかかわらず、きっとある時彼女は悟ったのでしょうね。
「産んだのだから、やるしかないやん!!!!!」と。
これぞ「母」となった女が持つ強さなのでは?と、私はそんな気分になりました。
「50歳で産むということは、70歳でも子供は20歳だね」
「そうだね」
「もしもその子が私のように、アラフォー結婚なんかしようものなら、親は90歳だね」
「その場合、子供も理解して、25歳くらいで結婚するのでは?」
「あぁそうか。25歳で結婚し、すぐに孫でも作ってもらえたら、野田さんは75歳でおばばになれる訳で、そうすると、帳尻が合うよね」
などど、野田さんにとっては「放っておいてくれ」と言われんばかりの会話をした後、ふたりはワハハと笑って別れました。
野田さんには、今度こそ悲しい結果とならないように、仕事はほどほどにして、とにかく安静第一でその時を迎えてもらいたいものです。
ちなみにこの方、私が所属した留学プログラムの大先輩です。いえ、あちらはもちろん私のことなど知らないのですが、高校時代に同じ経験をしたよしみで、陰ながら応援せずにはいられない。
よっしゃ~、世のアラフォー女性の皆さんよ。野田さんを見習ってつべこべ言わずに、自らが決めた道を真っ直ぐ突き進もうぜぇ、ベイビー。
センキュー、センキュー。
では、そんな感じで、今日も4649。
あ、私は本日、イケメンとデートだよ~ん。(←義兄の大学生の子供が名古屋に遊びにやって来るのだ。ウッシッシ)
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2010年09月01日
男らしさ・Masculinity

昨日、ヨーロッパ人の前でプレゼンをした日のことを書いたら、外国ネタを沢山思い出したので、小話をひとつふたつ。
前にも一度「コンカツコーナー」(コーナーって)で書いた記憶がありますが、私は社会人になった頃、沢山のプレッシャーを背負っていました。
同期生約500名の9割は男性だし、「えらいこっちゃ。頑張らねば、給料泥棒って言われかねへんな」と恐れおののき、否が応でも働かなければならない状況に立たされている自分に気づいたのです。
そこで私が磨きをかけたのが、「男らしさ」。
そんなもん身に着けて何になる?という感じですが、上司先輩後輩含め仕事仲間はほぼ全員男性だし、これを身につけてこそ、同等に働けると(勘違い甚だしい)悟りを開いたのです。
さて皆さん(浜村淳風)。
男性がアジアへ出張をし、仕事が終わった後に何をしているか、ご存知でしょうか。
「えっ。うちの夫に限って。私の彼に限って」とお思いでしょうが、その思い込みは全くアテになりません。まぁ、十中八九が、夜の歓楽街で遊びます。その内容も、かなりきわどい遊びです。きわどさを通り越している人もいます。
入社3年目ごろに向かった、韓国出張での出来事。
初めてのソウルで、一緒に出張でかの地を訪れた人々の中で、女性はいつもの如く私ひとり。皆、きっと心の中では困っていたでしょう。「夕食後、ミナックさんだけを除け者には出来ないし、かと言って、せっかくのこのチャンス、遊ばないでかい!ええい、ミナックさんは男ということにしておこう!!」
そう判断が下されて連れて行かれた店では、当時流行っていたハイレグ水着を着た女性たちが、その水着の上に番号札をつけ、中央ステージでクネクネダンスをしていました。
客は、気に入った番号の女性を個室へ呼び、お酒をついでもらったりのサービスを受けるのです。
「同じ女性としては我慢ならん!」と、歯をカチカチ言わせながらその場に座っていた私ですが、しかしハイレグお姉さんたちの上手なこと。
「あら~。日本の女性はやぱりきれね(やっぱりきれいね)」とか何とか言いつつ、客である私をいい気分にさせる事にかなり長けているのです。あれなら男性もイチコロですわ。
その数年後、今度はタイのバンコクへ出張をしました。
この時はソウル同様に、番号が書かれたバッジを自らのロングドレスに付けた女性たちが店の入り口までお出迎え。各自は気に入った女性をひとり席まで連れて行き、接待をしてもらいます。当然のごとく、私にも女性が付きました。
こうなったら、もうヤケクソです。隣に座ったミナックさん専用の女性にりんごの皮をむいてもらい、「あ~ん」して食べさせてもらったりと、至れり尽くせりのサービスを受ける私。
店内を見渡すと、私たち一行以外にも、日本人と思しき男性が沢山いて、皆、タイ人女性にしなだれかかっています。あぁ、情けない日本男児たちよ。てめーら、しっかりせんかい!私はひとりで歯軋りをしつつ、さらに「あ~ん」してりんごを食べさせてもらったり。
そのうち、酔っ払った私の同行者たちに、「一曲歌え」とマイクを持たされて、更にヤケクソでソファから立ち上がり、今井美樹の『PRIDE(プライド)』なんかをリクエスト。
それにしても、曲が始まり歌い始めた時の、それまでデレデレと鼻の下をのばしていた日本人男性の、マヌケ顔と言ったらありませんでしたよ、旦那。まさかそんな店に母国の女性がいるとは思っていなかった、たぶん商社やらメーカーから出向中の男性諸君は、聞こえてくる完璧な日本語にギョッとして、一斉にこちらを振り返りました。その顔は一様に怯えています。
きっと、久しぶりに聞く生粋の、女子的日本語を目の前にして、国に残した奥さんや恋人の顔がちらつき、酔いが醒めたのでせう。
私は、『PRIDE(プライド)』の清らかな歌詞に、「フフフ~ン」とステップでも踏みたくなるような心地で歌い終えるや、引退時の山口百恵さんのごとく、マイクをテーブルに置きました。
すると!
事もあろうか同行男子たちが一斉に「いや~、君、日本語上手いねぇっ!!!」と叫び出し、私はすっかり中国系タイ人にさせられてしまったのであります。おお、日本人女性ではなかったかと、店内の男性客たちがホッと肩を撫で下ろしたのを、私が見逃すはずがありません。
彼らを安心させたいと考えたであろう同行者たちの、企業や業界を超えた男子ネットワークを垣間見た気がする、忌々しい出来事でしたわ、フンッ。
その更に数年後、人事部長と一杯呑む機会があった時に、私は皿が浮くぐらいの勢いでテーブルを叩きながら次のように訴えました。
「アジアに単身赴任、もしくは長期出張する夫を持つ奥さんには、人事部主催の奥様研修会を開き、『お宅の旦那さんには、こんな誘惑とこんな危険があるので、よ~くご家庭で躾けてくださいね』と、過去の事例付きで説明するべきでありますっ!(何なら、私プレゼンするし)家庭の平和維持をサポートするのも、人事部の立派な仕事であり、会社の務めでもありますっ!!」
・・・。
男性である彼からは当然の如く即却下。多勢に無勢とはこの事か・・・と、ガックリ肩を落とし、男性社会のガードの厚さを知りました。
これを機に、女性である私が男らしさを磨くことなど到底無理だし、人の家庭のことまで心配するなんてアホらしいと、持っていた匙をその場でアラよっと天に向かって放り投げたのでした。
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2010年08月31日
表現者・Creator

昨日、子供に英会話レッスンをしての帰り道、自転車に乗って横断歩道でぼ~っと信号待ちをしていたら、不意に誰かが話しかけて来ました。
「こういう小さい自転車は、漕ぐのが大変なの?」
横を見ると、50代サラリーマン風のオヤジです。私のコンパクト自転車を眺めながら、きっとこれまでずっと疑問に思っていた事を、丁度横で信号待ちをしていた私に尋ねたくなったのでしょう。
「大きな車輪の自転車と比べると、それだけちょこまかと漕がなくちゃいけないから、確かに結構筋力が要りますねぇ」
オヤジは「フムフム」と、頷いている。
「ただ、利点もありますよ。小さなものは折りたためるものが多いので、コンパクトにまとめた後、担いで電車に乗り、どこか遠くで漕ぐことも出来るし、車に載せて高原へでも行き、そこで風を切って走らせることが出来ます。それって結構楽しいんですよ」
私がさらに情報を提供すると、聴衆であるオヤジは嬉しそうに深く納得していた。彼は週末に、折りたたみ自転車を買いに行くかしらん?(笑)
昨日の私は、口の筋肉が滑るように動き、ちびっ子との英会話レッスンも盛り上がりました。
元来、話すのはそれほど好きでもない私だけれど、スイッチが「オン」モードに入ると、自分でもびっくりするほど饒舌になることがある。それが仕事中に起こることもあれば、どうでもいい場面で起こることもあるから、不思議。
東京外国語大学を出て、イタリア語の通訳を長年されている、田丸公美子さんのエッセイ集を読んでいると、やはり「しゃべること」が肝心要の通訳という仕事でも、「オン」モードになれる時と、どうも滑舌が悪く、流れるように訳せない時もあると書かれてありました。
それは、この仕事がいかに生ものであるかの証でもあり、聴衆がかもし出す気のようなものと自分のそれが一体になり、スムーズに滑る時とそうでない時があるのだと言うような説明でした。
また、その体験は、準備が万端であるかどうかはあまり関係なく、綿密に下調べをして勉強をしておいても、乗れない時は乗れないらしい。
あぁ、わかるなぁ・・・と、思う。
思い起こせば会社員時代、私も日本語や英語でプレゼンをする機会が何度もありましたが、基本的に小心者の私は、実は人知れず膨大な時間を費やして結構事前準備をしていました。
ところが、どうも聴衆と距離を感じる時があり、逆に練習した甲斐あって聞き手たちの反応が面白いようにビンビンと返ってくる時もあり、そう言う時は何を言ってもウケル。
一度、ヨーロッパ人たちを相手にスピーチをして、大爆笑を何度も取った時は、事務所に戻って後片付けをしていると、イタリア人とベルギー人のオヤジたちが席までやって来て、ヨーロッパ男らしく、大げさな身振り手振りで、私をべた褒めしてくれた。いや、でも。彼らのような、熱い気を送ってくれる人がいたからこそ、私はその時のプレゼンでノリノリになれたのは明白で、自分の才能だなんてこれっぽっちも思っていない。
書くこともこれに似ているような気がします。
反応があれば、ますます面白いことを思いつくし、無反応であれば、何だか意気消沈をして、書く気も失せる。
きっと、これこそが表現者の経験する苦悩で、それでもやりたいか、やりたくないか。
生前、それほど多くの人から創作物を評価されなかったのにも関わらず、偉大な作品を残した例えば宮沢賢治さんであるとか、ゴーギャンであるとかは、それでもやりたかった人なのでしょうね。
いや、違うかな。
それしか自分のやれることがなかったら、やるしかなかったのかもしれません。
装丁をあれこれと替えては何度も書店に並ぶ、宮沢賢治さんの著作や美術館で厳重に管理されてあるゴーギャンの絵を当の本人たちが見ると、どう思うだろうか?と考える。
私が思うに、やっぱり生きている間に評価されたかったのではないかと、同じ人間としては感じるのですが、真相はいかに。
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2010年08月27日
続、コメダ珈琲・Komeda Coffee II

東名高速名古屋インター近くにある、マック(いや、マクド)
本日午後から、会社員時代の友人と茶しばきをする。
彼女もすでに退社しているが、社内恋愛で結婚をしたので、住んでいる場所は、私たちが勤めていた会社の社宅。一度遊びに行ったその場所は、エレベータの中にも社訓めいたものが貼られてあったり、懐かしいブランドマークが廊下のそこかしこに見られたりして、なかなか「ナ~イス」な場所でした。もちろん家内の備品は、全て自社製品。(笑)
さて、その友人とどこでアフタヌーンティーをしようかと考えて、思いついたのが、彼女が住む社宅のわりと近くに出来たコメダ珈琲。
「いかが?」
と携帯メールで提案すると、丁度私のブログを読んでくれていたのか、「あずき、出るかな?(笑)」という返事。
東名高速に入る前のマック(あ、ごめん。マクド)で、通勤割引時間帯に高速へ出入りするため時間調整をしていた私は、ウハハハとひとりで笑っていた。すると同じく私たちの同期仲間で、今は東京にいる友達(彼女は勤続18年を突破!)から携帯にメールが入りました。
「今日から、大阪へ行くんだって?」
彼女も同じくブログで、私の家出を知っていた。このブログは、エッセイの練習場と言うよりは、まるで我が掲示板と化している模様。イヒヒ。
「今から高速に入るところ。ちなみに明日は、○△ちゃんと会って、コメダへ行くでぇ~」
と返信すると、ただちに彼女からまた返信。
「先日、バカンス中の鳥羽で初コメダを体験しました。大津(=京都との県境にある滋賀県)に住む妹は、しょっちゅうコメダへ行くらしい」
・・・。生粋の関西人の彼女たち家族にまで、コメダが浸透しつつあるとは、恐るべし名古屋の喫茶文化。
ちなみに先日の疑問、「どんなシチュエーションで、人はあずきを100円でプラスをするか?」を、昨日私は東名をぶっ飛ばしながら考えたのですが、たぶんこんな人が多いのでは?と、妙案を思いついた。
名古屋ではたいていの喫茶店で「モーニング」を実施していて、それにはモーニング価格がある訳でもなく、午前中の特定の時間に店を訪れると、珈琲の値段だけで、トーストなどをつけてくれます。
この時間帯にコメダを訪れた人が、100円を追加して、サービスでついたトーストに、あずきを載せるのではないかと言う仮説。
ふふん。きっとこれ、正解でしょう。(いやでもやっぱり、珈琲の中にあずきを入れている疑惑も今だ晴れないが)
ところで昨日戻った実家近くには、同じく愛知県民のソウルフード、カレーの『CoCo壱番屋』がオープンしていて、大阪もいよいよ名古屋化してきたのか?あるいは名古屋人の健全経営が功を奏しているのか?などとつらつら考えている、ミナックさんであります。
■CoCo壱番屋
└http://www.ichibanya.co.jp/index.html
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2010年08月26日
本日、家出・Leaving home, today

本日、大阪へ家出します。しかも夫公認で、しかも合流予定の。
希望としては、神戸のIKEAへ行ったり、六甲山へ上ったり、有馬温泉なんかへ行きたいけれど、どうやらここ1週間の関西は東海地方よりもかなり暑いようなので、エアコンの効いた部屋でうだうだするだけの週末になるかも?
今朝は朝からゴミ出しをして、昨日の夕方から干していた洗濯ものをとりこみ、昨晩の夕食につかった食器や鍋など、洗ったままにしておいたものを片付け、庭の草木へたっぷりと水をやり、部屋の中に置いた観葉植物へも水やりをして、そして新聞を片付けた。
さらに、先日の葬式で急遽実家から送ってもらった、着物の着付けに使う小道具を袋に入れ、これは実家の母へ返却予定。
これからシャワーを浴びて、そして朝ごはんをたべて、化粧をして、荷物をつめて、毎度のことながらまた車で西へ向かいます。
今日も安全運転を目指し、決して覆面パトやら、白バイに弱みはみせません。(←意味深・・・)
ではでは、溜まった「ストレス」と言う名の空気を積極的かつ、存分に抜いて参ります。
いや、しかし今日も朝から暑いなぁ~。
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2010年08月25日
コメダ珈琲・Komeda Coffee

昨日、買い物へ行ったついでにペットショップを覗くと、3ヶ月のアメリカンカールの女の子がいました。
遊ぶ気満々のその子と、ガラス越しにひとしきりネズミごっこをしていると、いつの間にか隣には、100kgは体重がありそうなサラリーマン風男子がいて、同じくその猫を見つめてニコニコしている。
「あなたも猫好きなのね」
心の中でそう思って、その男子に猫と対峙できるベストポジションを譲って、私はその店を辞した。それにしてもかわゆかったわ、アメリカンカール。そこら辺をうろつく野良猫を捕獲すればタダなのに、その子は88,000円というプライスがついていました。
その後向かった、コメダ珈琲。
スタバよりも混雑しているここは、名古屋人のオアシスなのでしょうか。人気の秘密は、やはり美味しい珈琲の味と、新聞雑誌が読み放題、そして喫煙席があることかも。
いくらスタバがおしゃれで味が良くとも、所詮は紙コップで出されるファーストフード店です。(頼めばマグカップで出してもらえるけれど)
ドリアやエビフライもないし、小さな銀の入れ物に入ったコーヒーミルク(=これを、関西人はフレッシュと呼ぶが)もなければ、愛煙家がタバコを吸う場所もない。
「やっぱ、コメダよね~」
と、名古屋人の振りをして、コーヒーと、ほかほかのデニッシュパンの上に、アイスクリームをのせた独特なデザート・シロノワールを頼み、一息つきました。
そしてふと、ドリンクメニューの下にある、表記に気が付く私。
「あずき・ソフトクリームのトッピングできます」
えっ?これって、コーヒーの中にあずきやソフトクリームを入れるという意味?いや、そんな喫茶店もあると聞いたような気がするか、いやまさか?
私の疑問はむくむくと広がっていき、とうとうウェイターさんを呼んで、尋ねてみると、彼は可笑しいのと困った感情を交互に隠し、客である私に失礼にならないようにと、説明を始めました。
「コーラーの上にアイスクリームを・・・というお客様もいますし、それはお客様の自由なのです」
「えっ。では、コーヒーの中にあずきを入れる人もいるのですか?」
私の問いに彼はますます困り、
「いえ、まぁ、ご要望であれば、それも致しますが、一応ご注文の多い例は、シンプルなトーストの上にあずきをのせる、というものです。いや、あずきトーストというメニューもありますから、不思議と言えば不思議なんですけどね」
・・・
何だかわかったような、わからないような、煙に巻かれたような気分。
あずきトーストがあるのに、わざわざただのトーストを頼んで、あずきのトッピングを頼むの?あるいは、100円を足して、あずきトーストの上に更にあずきをのっけるだろうか?ダブルあずき?
本当は、皆こっそりとコーヒーの中に入れてるんちゃうのん?と疑いながら、私は運ばれたデニッシュパンをフォークで切りきざんだ後、そのひとつにソフトクリームをつけて口へ放り込み、そしてコーヒーを一口ゴクンと飲んだ。
名古屋の味、コメダ珈琲は、いまや関東に関西にとその店舗数を広げているそうなので、私同様疑問に思われた方は、是非ご確認下さいませ。
関西では、大阪と京都を結ぶ、1号線沿い、大阪と奈良を結ぶ、163号線沿い、そして大阪と滋賀を結ぶ307号線沿いに目撃しましたわよ、私。
■珈琲所 コメダ珈琲店
└http://www.komeda.co.jp/
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2010年08月24日
神戸よ君は元気か・How's it going, Kobe?

やらないといけない事が沢山あるのに、どうにも体が思うように動かない。これって夏バテなの?あるいはいまだ葬式疲れ?
とは言いつつ、本当にやらないといけないので、昨日自転車に乗って近所をうろつき、交差点で信号待ちをしていると、どこからか子供の声がする。
「ミナックさぁ~ん ミナックさぁ~ん」
天使のごとくのソプラノ声に振り向くと、同じく赤信号で止まっている先頭車から顔を出しながら手を振る、英語を教えている子供とそのママだった。
彼女に呼ばれるまで私が頭の中で考えていたのは、「世間の42歳は、こんな暑い今日、一体どこで何をしているのか?」だったので、そのママは私より確か5歳くらい若いので、世間の37歳は助手席に子供を乗せて車を運転しているでした。(笑)
今日はこれから区役所へ行き、印鑑証明書をもらわねばなりません。葬儀後の事後処理とは、故人に思いを馳せる暇もなく、どんどん用事があるものですね。来月にはまた、49日の法要で夫の里へ行く予定。
ところで、人は今こんな風に思っているでしょう。
「一体全体、ミナックさんはいつ大阪へ引越しをするのか?」
私自身も良くわからないと言うのが真相ですが、ただちに引越しを出来ない理由になっていた案件にどうやら解消の見込みが立ちそうなので、本気でそろそろ重い腰を上げねばなりません。本音を言うと、面倒臭いけれど。
それで、一応移る場所は夫が今住んでいるマンションで、そのことは、これから私も住むであろうその同じ沿線沿いに、もう10年も前から住んでいる学生時代の友人に告げていた。
すると、先日彼女からこんなメールが届く。
「今、花火あがってるやろ~??綺麗なぁ。姉がミナックと同じ駅の近辺に住むことになり、今彼女の部屋に来てるねん。実はめっちゃ近所やったりして?引越しが落ち着いたら、会おうな~~」
という内容に、
「すみません。私はまだ名古屋にいるし」
と、返信した。
あぁ、私の友人たちも一体私が今どこで何をしているか、そしてどの街に住んでいるか全く把握できていないらしい。神戸に住んでいるという噂まで飛んでいるそうだ。(何でやねん)
しかも、引越しの連絡を兼ねて出そうと思っていた年賀状は喪中で出せないし、引越しのお知らせと喪中のお知らせを並列するなんて、そんな事していいのか全然わからないし、確実にこれで「ミナックさん行き先不明」となる友達が何人かできるだろうな・・・と、覚悟をしている。
ほんでは、そろそろ区役所と買い物へ行ってきます。ついでにコメダ珈琲へでも寄って、今読んでいる柳田国男の『遠野物語』を読み終えて来よう。
先日、カッパを釣りにわざわざ東京から岩手県の遠野まで行った友達が、「やっぱり釣れませんでしたわ」と言っていたけれど。
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2010年08月23日
『眺めのいい部屋』・"A Room with A View"

我が家のリビングからの眺めは目下、ランタナで一杯だ~!
暑さがいくぶん和らいだ一昨日の夕方、夫が散歩がてらブックオフへ行くと言い出した。
では私も・・・と、いそいそと付いて行ったが、何と目当ての店は閉店していて、しかもTSUTAYAの新書籍店舗へと改装中でした。
2人で御用達を続けた店がなくなるとは、諸行無常の大ショック!
仕方がないので、久しぶりにそのブックオフの横に前からあった、TSUTAYAのレンタルビデオコーナーで、映画を借りることに。
そして選んだものが、ダスティン・ホフマン主演の『新しい人生のはじめかた』(Last Chance Harvey)です。
私はこの映画を含む類似作品を同じ棚で眺めた後、「う。時代はアラフォーから、50代(アラフィフっていうの?)へと移っていくな」と感じました。だって、50代の恋を主題にしたものがズラリと並んでいて、しかもそれは一昔前の「不倫もの」でも何でもなく、独身者による純愛物語が実に多いからです。
「人数が多い世代こそ、世のマーケットを制圧する」
とは、私が20代の頃に気づいたからくりですが、今の30-40代はもともと人口が多いはずなので、このままでいくと、60代でも70代でもマーケットを牛耳り、「60代からはじめよう、コンカツのワンツースリー」というハウツー本であるとか、「彼と一緒に霊園デート。今年のお彼岸スタイルは、コレできまり!」とか言う、70代向けのファッション雑誌などが出来るのではないか?と、ちょっと怖い。
あぁ、そんな事より、映画の話。
ロンドンに住む40代後半と思しきイギリス人女性は、本の世界に自分を押しやり、変化を恐れる日々を送っています。今現在、物凄く幸せな訳でもないけれど、何かを始めて失敗し、傷つくよりは今のままの方がいいと思っている。
そんな彼女の前に現れた、ニューヨークから来たダスティン・ホフマン演ずるバツイチ男の売れない作曲家は・・・という展開です。
ね、何だか一昔前は、こうした展開は20代後半人間の専売特許だったのが、いまや対象年齢は20年も上がりました。
映画の中で、イギリス人女性はいつも本を読んでいるので、ダスティン・ホフマンと文学の話なんかになるのですが、その中に20世紀初頭のイギリス人作家、E.M.フォースターの『眺めのいい部屋』(A Room with A View)と、以下の一説を語らせる場面があります。
「祖国は栄誉ある国だ、ハニーチャーチさん?」("Yours is a glorious country, Honeychurch?")
ハニーチャーチと言うのは、この『眺めのいい・・・』に登場する女性主人公の苗字で、イギリスの中産階級で育った彼女は、旅行中のイタリアで、同じくイギリス人の労働者階級風男性と出会ってしまい、本人も意識しないところで彼にひかれるのですが、階級差の枠にがんじがらめになって、なかなか自分の心の変化を受け入れられない・・・というストーリーです。
映画の内容とシンクロニシティを起こす小説が採用されてあるのも、何だかとてもイギリス映画っぽいよね・・・なんて思った次第。
(ちなみに私、『眺めのいい部屋』で卒論を書きましたのん。恋愛小説で卒論書くなんて、筋金入りのコンカツサポーターではありませぬか!ワハハ)
久々に見た恋愛映画は、大人対象とは思えないほど素直かつわかりやすい内容で、でも逆にその分安心して観られる、なかなか楽しい90分でした。コレ観て、「よっしゃ~。恋をするぞ~~~!」と、燃えてもらえたらいいな、サポーターとしては。
秋の夜長はまだちょっと先だけど、こんなん如何?
■『新しい人生のはじめかた』(Last Chance Harvey)
└http://hajimekata.jp/
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2010年08月22日
続、エムエヌケー42・MNK42 II

しつこい様ですが、今はイヤミです。シェー
ブログで「面を明らかにする」というチャレンジへは、なかなか反響があり(笑)、コメント欄以外にも、ブログ横に設けてある「オーナーへメッセージ」の機能を利用して、感想メールなども頂きました。どうもありがとうございます。
その中のひとりに、「ブログ内で、ご自身を表現されていた風貌から想像していたよりも、綺麗です!これはミナックさんの戦略勝ちでしょうか?」と言う、笑えるメッセージがあり、私はフムフムと、「これって、コンカツに使える」と思ったのであります。
と言うのもですね、先日ファン投票が行われた(らしい)、かのAKB48で一番に輝いた何とかさんという人は、たぶん女性の皆さんには賛同してもらえるかと思いますが、ビックリするほど美人でもない。
強いて表現するなら、「綺麗にしている人」かも。
これはAKBプロデューサーの秋元さんもどこかの雑誌(確か、JAFから送られるリーフレット内)で言及されていましたが、アイドルに必要な資質として、「根拠のない自信」が重要なのだそう。
私などは彼が仕掛けた20年前のアイドルユニット、おニャン子クラブ世代ですが、当時男子たちの間で一番人気があったのが、女子は皆一様に首をかしげていた、新田恵利さん。
小学生の頃私が片思いをしていた男子は、卒業を待たずに九州へ転校し、高校野球で甲子園出場という晴れがましい凱旋で関西へ帰って来ましたが、雑誌『セブンティーン』に掲載されてあった彼のプロフィールには、「好きなタレントは、新田恵利」と書かれてあり、「ブルータス、お前もか」と、17歳の私は愕然とした記憶があります。
「可愛くない訳ではないけれど、そう美人でもなく、歌唱力が抜群な訳でもないのに、何故に彼女は人気があるのか?」と、女子高の仲間たちと延々と議論し合った記憶があります。女子が憧れを抱く同性は基本的に、スタイル抜群の超美人ですからね。
でも、その新田恵利さんは、コンプレックスがあるのかないのかわかりませんが、そんな素振りは微塵も感じさせない明るさで、いい意味での自信に満ち溢れていたと記憶します。これは、今AKB48のナンバーワンに君臨している女子(名前を知らないのが、アラフォー世代の悲しいところ)にも言えるのではないか。
趣旨がずれそうなので、先に結論を書きます。
「コンカツに必要な要素のひとつは、男女ともにAKBのごとく根拠のない自信と、それを補うプロデュース力」なのではないか?と、言うのが私の意見。
私は会社員時代の半分近くを、宣伝と広報の仕事に費やしましたが、その中には幕張メッセや東京ビッグサイトなどで開催する展示会を手伝ってもらう「コンパニオンの選考」というものまでありました。
時期とおおよその値段を「コンパニオン派遣会社」(と言う、ちょっぴりお水系の会社が世の中にはあるのだな)へ伝えると、これという女性たちのプロフィールと写真がいくつか送られて来て、「この中からお好きな人をどうぞ~」と、もしもこれをオヤジが担当していたら、ヨダレもののウハウハ仕事になったであろう・・・と言うものまで手がけていました。
で。
その時、女性である私も何を基準に選んでいたかと言うと、やはり「写真」なのです。
本人と面接するほどのものではないから(出来なくはないが、時間と費用がかかる)、送られてくるデータを頼りに選ぶしかなく、その時つくづく感じたのが、「写真って大切やなぁ~」ということ。
いくら実物の感じがよく、話し言葉が上品で知的でも、イマイチの写真を送られてくると、その時点で候補から落としてしまうのです。
もちろん選んだ後リハーサル日に実際の当人と会い、「あちゃ~。やられた」と言う程、写真と本人にギャップがある場合も中にはありますが、そこはある程度彼女たちもわかっている様で、愛想の良さやほがらかな人柄、そしてこれって大切だとは思いますが、「静止画よりも、動いている姿の方が魅力的」な人である場合も多く、兎にも角にも、最初の扉で切り捨てられないように、そこはコンパニオンで食っている人々です。自分が企業担当者の目にひっかかるように、あれこれ工夫をしているのが良くわかりました。
そう、これが前述した「コンカツに必要なプロデュース力」です。
「そんなの恥ずかしい」「本当の自分を受け入れてもらえる訳ではないので、ヤダ」と言う意見を聞くこともありますが、宣伝広報をしていた者の立場からすると、商品(もしくは、人)の魅力を最大限に引き出すのは、基本中の基本。これは嘘をつく訳でも誇大広告する訳でも何でもありません。
第一、本当の自分って一体何?と考えると、それは物凄く曖昧で、その人がその人であると認識されるのは、とどのつまり他者からの目であり、イメージなのではないか?などとも思うのだな、これが。
ほんでもって、最終結論。
今日使った私の「いざと言う時の写真」は、コンパニオンの皆さんから学んだ生きる知恵に触発されて撮ってみたものですが、確かにこれを見た私の知り合いたちは皆、口をあんぐりあけて、ワハハと笑いました。
これはミナックさんのようでもあるが、ミナックさんでもなく、でもやっぱりミナックさんにも見えるが、でも何かが違うらしい。(笑)
そりゃそうだ。プロのカメラマンに100枚くらい撮ってもらった写真の中で、最も光線の具合や髪の具合、笑い顔に高印象を与えられるものを、カメラマン自らが選んでくれたのだ。
でも(残念ながら?)修正は全くないし、私は50年に一度くらいは、こういう奇跡の表情をするのかもしれない。
そして、この写真は、こんなイメージが必要な時に使える訳で、実際、某化粧品会社のブログを書いていた時に使用しました。ま、私が今書いている個人ブログでは、綴っている中身とイメージが違い過ぎて、こっ恥ずかしくてとても通用しませんが・・・。
しかし一方で、きっとこれは見合い写真としては、成立するでしょう。
という事で、これからお見合いでコンカツを頑張ろうと思う人は、とにかく第一関門を突破するためにも、男女共に写真を工夫してみて下さい。
どんな企業の宣伝マンも広報マンも、自分たちが本気で売りたい商品の写真は、必要とあらば何百枚だって撮リ直すだろうし、その中で一番ベストだと思えるものを使うものだと思う。
あ、私は何も見合い写真をプロの写真家に撮ってもらえと言っている訳ではなく、別に手持ちのデジカメでもいいので、出来るだけいい常態の写真が撮れるまで、何十枚でも根気良く撮ってみるのを勧めているだけですからね、お間違いなきよう・・・。撮っているうちに、100枚に1枚程度は、「うん。結構いいかも?」と思えるものが撮れるはずですから~。
では、引き続き頑張ろう!
【追伸】
自分で撮る自信がない方へ、↓ ここを紹介します。私の写真はこの店でヘアメイクをしてもらった後、専属のカメラマンに撮って頂きました。かなり上手いです。ミナックさんじゃないミナックさんが無修正で撮れる位ですから、間違いありません。コンカツには投資も必要とは、私のコンカツ仲間の意見です。ほらほら、1万円程度の投資で、流れが変わるかもよ~~~?
■K-two
└http://www.k-two.jp/
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2010年08月21日
エムエヌケー42・MNK42

10年ぐらい前から、「このトマトは私が作りました」などと、生産者の顔が商品のパッケージに載るようになりました。
それは今や、「この醤油は・・・」「この酒は・・・」「この米は・・・」「この肉は・・・」にまで至り、あまりにも作り手の顔が表に出すぎると、逆に「本当にこの人が作っているのだろうか?」と、穿ってしまう。
「限りなく素人に見えるタレント」や、「大阪のおばちゃんに見える(いや、実際は本当に大阪のおばちゃんらしいが)タレント」、「年がら年中腰や膝が痛くなり、○▲食品のサプリメントを飲むとコロリと治るじーさんばーさんタレント」などと同じく、「農業に携わっている人風のタレント」というのがいるのではないか?等と、想像してしまうのは私だけ?
まぁ、コンプライアンスが厳しく問われる昨今、そんな事をして消費者をだますと、いつか吊るし上げに合うのは間違いないと思われ、そのような危険を冒してまで、農家タレントなんか育成しないわよね。
それで。
以前、私が企業のブログを書いていた時も、自己紹介の欄に「写真を使って欲しい」と要求がありました。「似顔絵では駄目ですか?」とゴネてみましたが、却下され、理由を聞くとやはり「顔が見えている方が、信憑性があり、説得力があるから」との事。
そんなもんですかねぇ~と、世間を見渡すと、確かに最近は作家の方々も著書の中でたいがい写真を掲載されているし、作曲家も作詞家も、これまでドラえもん以外はご法度だった声優さんなんかも、顔を出すようになっています。
そんな中、顔が殆ど見えないのは、8年前にお亡くなりになった、コラムニストのナンシー関さんくらいかも?(涙)
いやでも確かに、作家も声優も顔が見える方が、こちらも何だか興味がわくのは確かだし、作品とお姿が微妙に異なる人(例えば、書かれるものは非常に辛らつなのに、お顔は仏様のごとく穏やかな人や、またその逆しかり)を見ると、別な意味で好奇心をそそられる。
そんな訳で、私も一度このブログで、姿を披露してみようかとチャレンジ精神がむくむくと湧いた次第。
「えええ、ミナックさん、イメージと全然違うよ~」
「がっかりしたからもう読むのは止めよう」
「思い描いていた通り」
何でも結構ですので(でも、辛らつすぎたら傷つくかも・・・)気が向いたら感想を宜しくです。
ちなみにこの写真は、3年ほど前に撮ったもので、この後私は髪を切り、ムッシュかまやつになった後、先月さらに髪型を変え、今は赤塚不二夫・作『おそ松くん』に登場する濃厚キャラ、イヤミそっくりになっています。
シェー!
あ、エムエヌケー42(MNK42)とは、今流行りのAKB48にあやかったネーミングですからね。
ミナック42歳って感じ?
しかし来年は、MNK43に改名必要だな~~~。
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2010年08月20日
丘の上の家・A house upon a hill

新約聖書、マタイによる福音書の中に、"A city upon a hill " (丘の上の町)という表現があり、これはアメリカ合衆国を作ってきたピューリタン、もしくはアメリカが理想とする社会の比喩として、政治家の演説などでしばしば引用されるそうです。
それならば、ミナックさんの理想であり、現実に今住んでいる家は、"A house upon a hill "なので、ここは私の理想郷となるのでしょうか。
いや、単に世俗から逃避できる格好の場所と言うのが、本当かも?
感覚的には1ヶ月以上も家を離れていたような気に陥っている私は、実はまだ自分自身を癒し切れていないところがあり、これの解決方法は自分でも良くわかっている。
それは、「とにかく独りになる時間を沢山持つこと」です。
葬式を含む期間中は、眠る時でさえ、常にそばに誰かがいて、それが私のストレスになっていた。これって、独り暮らしが長い人なら誰でも陥る「病」でしょうかね。
こちらに戻って来ると、ご近所さんがどうも私と話しをしたがっている様で(郵便ポストにその旨を伝える手紙が投函されてあった)、連絡しなくちゃ・・・と思いつつ、電話に手がのびない。
実家の母から電話もあったが、コールバックがなかなか出来ない。
しばらくは、誰とも話しをせず、本を読んで延々と独りの時間を過ごすことで、また誰かと話をしたくなるのはわかっているので、昨日からずっと読書を続けている。
今読んでいる図書館から借りたこの本、実は8月17日が返却期限で、9日に夫の里へ行く前に、いつ戻れるかわからなかったので、webで「延滞届け」を出そうとしたけれど、私の後に2人予約が入っているらしく、web上では受け付けてもらえなかった。
どうしようもないから、時間がある時に図書館へ電話を入れて司書らしき人に事情を話すと、無表情(想像)かつ抑揚のない冷たい声で、「仕方がないですね。では出来るだけ早く返却努力を願います」と言われた。
きっと、「知り合いが危篤で」「会社の緊急事情で」「近所の突発事項で」などと言い訳をし、期日までに本を返さない人が多いのでしょう。向こうは私の電話もそういった、嘘も方便的言い訳にとったのかも。
名古屋に戻ったらすぐに返そうと(いや、実際凄く面白くて止まらないのだけど)、病院にいる義父を2時間交代で夫と泊り込みで見守った夜も、心拍数や体内酸素量などを示すモニターや、義父の息遣いに配慮しながら、延々と読み進めた。
夜と朝の境目にあたる午前4時頃、ふと顔を上げると、東の窓の向こうは空が少し白みかけていました。
それは、本の中に広がる世界と、現実が横たわっている狭い病室内、そして窓の外に開けている空が同時に動き出した瞬間で、私は義父の顔を眺めながら、「あぁ、お義父さんは、今から何もかもに境のない広い世界へ行くのだな」と、妙な安堵感を覚えたのでした。
・・・
いやいや、あかん、あかん。
こんな詩人きどりをしている暇があれば、はよ本を読み終えて、平謝りしながら図書館へ行かねばならんやん。
あと16ページ!頑張れ、私!!
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2010年08月19日
女光源氏・Female Hikarugenji

葬式で再会した大学2年生になる義兄の子供が、夏休みの後半に「青春18きっぷ」を利用して、名古屋に遊びに来たいと言いました。
どうぞどうぞ、良ければ長く滞在したら?と言った後、私がもしも若くして子供を産んでいたら、彼くらいの年齢の息子がいてもおかしくないよな~と、考える。
現に、22歳で出産した同級生も確かいたはずだ。計算すると、彼女の子供は甥と同じ20歳になっているでしょう。
ところで、甥はイケメンです。
さらに礼儀正しく努力家で、こんな息子がいたら、さぞかし私は鼻高々で外を歩くだろうと思った後、かつて年上女友達が言っていた言葉を思い出しました。
彼女は独身で、もう結婚する気も出産する気もないそうですが、「イケメン息子を持つ、男やもめとだったら、再婚しても良い」と言うのです。
その話を一緒に聞いていた年下女友達一同は、一瞬「ほぅ」と頷いた後、ひとりの言葉ではっと我に返りました。
「ちょっと、それって裏を返せば、独身の40男が、美少女を持つシングルマザーとなら結婚してもいいと言っている様なものちゃうのん?」
た、たしかに。
そんな意見を言うオヤジがいたら、気色悪いことこの上ないという結論に至り、年上女性の主張は満場一致で却下されました。
葬式中には、こんな事もありました。
夫の従妹の子供で、6歳になる、こちらも将来はさぞかし・・・と想像できる、イケメン稚児がいるのですが、彼の母は只今ちょっと病気で入院中。
すると6歳児は母を求めるのか、一度しか会ったことのない私にもすぐなつき、遊ぼう遊ぼうと誘って来る。
彼に手を引っ張られ、一緒に宝探しゲームやら紙飛行機飛ばしゲームやらをしていると、突如私を「おかーさん」と呼びました。
「お、おかぁ??」と、突然の出来事に固まっていると、彼はさらに続けます。「ぼくの本当のおかーさんはね、今ちょっと病気で入院しているんだよ」
私はたまらなくなって、イケメン稚児に近づき、思い切り抱きつこうかと思った瞬間、「ちょっと待て。これでは私、光源氏(=憧れの女性、藤壺に似た紫の上を、彼女がまだ少女の頃に見つけて後見人となり、少女が成長した後は自分の恋人にしたと言う、ある側面から見ると非常に気色悪いオヤジ)なのでは?」と、自分にツッコミを入れた。
そして良く観察すると、そのイケメン稚児は義姉(=義兄の妻)も「おかーさん」と呼び、もうひとりの義姉(=夫の姉)をも「おかーさん」と呼んでいる。
おえ~、光源氏なのは、お前ちゃうんかいっ!?と、小さき少年を心の中で罵った後、私も年上女友達同様、イケメン息子の母になると言う、女光源氏への道に憧れを抱いている事に気づいて、愕然としたのでした。
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2010年08月18日
葬式・Funeral

8月8日から9日へと日付が変わって1時間と少しが経った時、義父が危篤という電話がありました。
もう1年ほど前から入退院を繰り返していたので、覚悟を持って何度か会いに行ってはいたものの、いよいよなのか・・・と思うと、神経が高ぶった。
ご近所さんはすでに寝静まっているだろうと思われる夜中に外出の準備をして、始発の電車で夫の里へ向かう。
それから葬儀が終わるまでの9日間、私はふたりの義兄と、ふたりの義姉、ふたりの義理の甥、そして義母と一緒に寝食を共にしながら、義父を見送りました。元々家族は皆仲が良いので、悲しいながらも不思議な連帯感が生まれ、そこには笑いさえありました。
ただ、思うことは色々あります。
冠婚葬祭にどこの家庭でも浮上するだろう、親戚間のごたごた、こういう時ほど顕著に現れるジェンダー問題、葬儀社による当事者不在の進行。
私が心の底から悲しいと感じたのは、まだ意識がある義父と病院で手を握りながら言葉を交わした時と、いよいよ今夜逝くだろうと思われた夕方、義父の耳元に向かってお礼を述べた時、そして仏様になった義父が、死化粧を施される姿を見守っていた時間。
それ以降は、葬儀社による悲しみの演出に心がどんどん冷めて行き、自分でも驚くほど冷静でした。
世間の結婚式もそうだけど、葬式もそうだと思う。
ビジネスの波にのっかった瞬間から、皆、ものごとの本質を忘れていくのではないか。
万が一人から「不義理」に思われようが、私は他人には分からない、かけ離れた次元で義父を見送ったし、最後に握った互いの手の感触が全てだと思う。
私自身は自分の最後を、白洲次郎さんのごとくこうしたい。
「葬式不要、戒名不要」。
生きている間にこそ、人間の花があると思います。
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2010年08月06日
広島・Hiroshima

昨年も書きましたが、2007年夏に秋葉広島市長が原爆記念日に読まれた「平和宣言」は、1枚の紙に印刷され、広島平和記念資料館に英語版と共に置かれてあります。
毎年の恒例行事として、これをブログに載せるのが私の唯一できる「戦争反対」貢献だと思い、今年もアップすることにしました。
私の母は広島県の出身なので、もしかすると他県で育ったご両親を持つ方と、原爆への距離感が違うかもしれません。
子供の頃に資料館で見た、住友銀行広島支店(現在の中区紙屋町1丁目にある三井住友銀行広島支店)に残された人の影など、おどろおどろしくて、現実とは思えない気分に陥ったものです。
何かね。
あんなに沢山の国民を犠牲にした政府の主導者男子たちって、無能やなぁ・・・、そして今の時代もこの構図は変わらないなぁ・・・と、昨今の諸問題を見るにつけ、思うのですよ、私。(こんな事書いたら、男女差別って言われそうですが)
コンカツにおいては草食男子には肉食たれ!と感じるのですが、こういう場面では「何故か戦争を好む男子よ、てめ~ら全員草食化しろ!」とも思ってしまう。
大学生になった年の夏、アメリカでお世話になっていた留学プログラムのチーフ役をしていた女性が日本に来ました。たぶん1988年の夏です。
私は彼女と一緒に日帰りで広島へ行き、原爆ドームや資料館見学に同行しましたが、彼女が人目もはばからずにポロポロと涙を流していたのが20年経った今でも忘れられません。あそこに収められたものを見れば、「意味ある戦争だってある」なんて口にする大統領が、今は自分の国の主導者であることに納得できるなかなぁ?なんてつらつら考えてしまう。
今日、広島に原爆が投下されてから、65年目の夏を迎えました。
■広島平和記念資料館
└http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
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2007年8月6日
広島市長 秋葉忠利
運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光、轟音ー成熟ー阿鼻叫喚(あびきょうかん)。
落下傘を見た少女たちの眼は焼かれ顔は爛れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人ー辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨むほどの「地獄」でした。
14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。
それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。
しかし、その中から生まれたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来永劫忘れてはなりません。
こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。
しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。
世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。
我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「世界を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。
唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊に心から哀悼の誠を捧げ(ささげ)、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。
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August 6, 2007
Tadatoshi Akiba
Mayor The City of Hiroshima
That fateful summer, 8:15. The roar of a B-29 breaks the morning calm. A parachute opens in the blue sky. Then suddenly, a flash, an enormous blast - silence - hell on Earth.
The eyes of young girls watching the parachute were melted. Their faces became giant charred bliters. The skin of people seeking help dangled from their fingernails. Their hair stood on end. Their clothes were ripped to shreds. People trapped in houses toppled by the blast were burned alive. Others died when their eyeballs and internal organs burst from their bodies - Hiroshima was a hell where those who somehow survived envied the dead.
Within the year, 140,000 had died. Many who escaped death initially are suffering from leukemia, thyroid cancer, and a vast array of other afflictions.
But there was more. Sneered at for their keloid scars, discriminated against in employment and marriage, unable to find understanding for profound emotional wonunds, survivors suffered and struggled day after day, questioning the meaning of life.
And yet, the message born of that agony is a beam of light now shining the way for the human family. To ensure that "no one else ever suffers as we did," the hibakusha have continuously spoken of experiences they would rather forget, and we must never forget their accomplishments in preventing a third use of nuclear weapons.
Despite their best efforts, vast arsenals of nuclear weapons remain in high states of readiness - deployed or easily available. Proliferation is gaining momentum, and the human family still faces the peril of extinction. This is because a handful of old-fashioned leaders, clinging to an early 20th century worldview in thrall to the rule of brute strength, are rejecting global democracy, turning their backs on the reality of the atomic bombings and the message of the hibakusha.
However, here in the 21th century the time has come when these problems can actually be solved through the power of the people. Former colonies have become independent. Democratic governments have taken root. Learning the lessons of history, people have created international rules prohibiting attacks on non-combatants and the use of inhumane weapons. They have worked hard to make the United Nations an instrument for the resolution of international disputes. And now city governments, entities that have always walked with and shared in the tragedy and pain of their citizens, are rising up. In the light of human wisdom, they are leveraging the voices of their citizens to lift international politics.
Because " Cities suffer most from war, " mayors for Peace, with 1,698 city members around the world, is actively campaigning to eliminate all nuclear weapons by 2020.
In Hiroshima, we are continuing our effort to communicate the A-bomb experience by holding A-bomb exhibitions in 101 cities in the US and facilitating establishment of Hiroshima-Nagasaki Peace Study Course in universities around the world. American mayors have taken the lead in our Cities Are Not Targets project. Mayors in the Czech Republic are opposing the deployment of a missile defense system. The Mayor of Guernica-Lumo is calling for a resurgence of morality in international politics. The mayor of Ypres is providing an international secretariat for Mayors for Peace, while other Belgian mayors are contributing funds, and many more mayors around the world are working with their citizens on pioneering initiatives. In October this year, at the World Congress of United Cities and Local Goverments, which represents the majority of our planet's population, cities will express the will of humanity as we call for the elimination of nuclear weapons.
The goverment of Japan, the world's only A-bombed nation, is duty-bound to humbly learn the world. At the same time, to abide by international law and fulfill its good-faith obligation to press for nuclear weapons abolition, the Japanese government should take pride in and protect, as is, the peace constitution, while clearly saying " No, " to obsolete and mistaken US policies. We further demand, on behalf of the hibakusha whose average age now exceeds 74, improved and appropriate assistance, to be extended also to those living overseas or exposed in "black rain areas."
Sixty-two years after the atomic bombing, we offer today our heartfelt prayers for the peaceful repose of all its victims and of Iccho Itoh, the mayor of Nagasaki shot down on his way toward nuclear weapons abolition. Let us pledge here and now to take all actions required to bequeath to future generations a nuclear-weapon-free world.
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